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zoom RSS テーマ「風景」のブログ記事

みんなの「風景」ブログ

タイトル 日 時
出島4
出島4  明治時代になり出島は周囲が埋め立てられ島ではなくなりました。また中島川の拡幅工事で北側が18mほど削られています。(写真に写っている出島の白壁や石垣部分は江戸時代のものではないということになります)  長崎市は出島の復元事業を行っていますが、今年、出島の表門橋が架設されました。出島表門橋は、11月25日から一般公開されているそうですが、川幅が広がっているため江戸時代の橋よりかなり長くなっています。 (2016(平成28)年、2017(平成29)年撮影、デジタル) 出島の対岸、県庁側の工事... ...続きを見る

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2017/12/09 15:43
出島3
出島3  出島は1634年築造開始、1636年に完成した人工島です。キリスト教の布教を阻止するため市内に雑居していたポルトガル人を収容するためにつくられました。1636〜1639年はポルトガルとの貿易が行われ、ポルトガル追放後1641年に平戸オランダ商館を出島に移転し、オランダ(オランダ東インド会社)との貿易が行われ、1859年オランダ商館の廃止まで続きました。 (2015(平成27)年、2016(平成28)年撮影、デジタル) ...続きを見る

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2017/12/09 15:41
出島2
出島2  出島については前に記事を書きました。前回の記事の写真は昭和51年に撮影したものでした。その後はつい最近まで出島は写真に撮っていませんでした。 (2013(平成25)年撮影、デジタル 2014(平成26)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/12/09 15:40
久里双水古墳(唐津市)
久里双水古墳(唐津市)  唐津にある前方後円墳です。1980年、宅地造成中に発見されました。全長108.5m。3世紀末から4世紀頃の古墳だそうです。古墳の頂上に登ったのは初めてでした。  実はこのときは古墳を見るために唐津に行ったわけではありませんでした。たまたま車窓から古墳が見えたのでちょっと寄り道をして行ってみました。 (2000(平成12)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/12/02 17:02
虹の松原(唐津市)
虹の松原(唐津市)  17世紀初頭、新田開発に伴い防風林、防砂林として植林された松原だそうです。唐津湾の海岸沿いに幅400〜700m、長さ4.5kmにわたって松原が弧状に続いています。博多からJR筑肥線を利用して唐津に行くと松原の内陸部の辺りを通ります。  唐津の銘菓「松露饅頭」は虹の松原に自生するキノコ「松露」に似ていることから名づけられたそうです。私も土産に買いました。 (1999(平成11)年撮影、ネガ 2002(平成14)年撮影、デジタル) 1999年ネガ 2002年デジタル 1999年 199... ...続きを見る

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2017/12/02 17:01
唐津城
唐津城  唐津城は唐津市の北部、海のすぐそばにあります。別名舞鶴城とも呼ばれるそうです。  特にお城に興味があるわけではありませんが、 唐津城へは二度行きました。 (1999(平成11)年撮影、ネガ ) ...続きを見る

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2017/12/02 17:00
唐津神社・曳山展示場(唐津市)
唐津神社・曳山展示場(唐津市)  唐津くんちは11月2〜4日に開催される唐津神社の秋季例大祭で唐津最大の行事だそうです。「唐津くんちの曳山行事」は2016(平成28)年ユネスコの無形文化遺産に登録されました。  唐津くんちで市内を巡行する曳山(14台)を一堂に公開しているのが曳山展示場です。展示場の中は撮影していませんが、14台の曳山が並ぶ姿は壮観でした。 (1999(平成11)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/11/25 11:50
菜畑遺跡・末蘆館(佐賀県唐津市)
菜畑遺跡・末蘆館(佐賀県唐津市)  菜畑遺跡は現在確認できる日本最古の水田跡がある遺跡です。今から2,500〜2,600年程前(縄文時代晩期)に水稲耕作が行われていたそうです。   現在遺跡は埋め戻され、竪穴式住居、水田が復元されています。末蘆館は菜畑遺跡の出土資料を展示しています。  魏志倭人伝の末蘆国は唐津市付近にあったとされています。 (1999(平成11)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/11/25 11:49
桜島2
桜島2  桜島については一度記事を書きました。今回の写真を撮った以降は鹿児島へは行っていません。  1枚目の写真は、城山展望台からの桜島です。城山展望台からの眺めは桜島を望む代表的な風景です。  2枚目は仙巌園(磯庭園)からの桜島です。桜島を築山、錦江湾を池に見立てたという雄大な景色が仙巌園の魅力です。前回の写真にも磯庭園からの桜島を掲載しました。  3枚目は「いおワールド鹿児島水族館」からの桜島です。「いお」は魚のことです。 (1999(平成11)年撮影、ネガ) 城山展望台から 仙巌園から... ...続きを見る

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2017/11/25 11:47
志登支石墓群と可也山(糸島市)
志登支石墓群と可也山(糸島市)  志登支石墓群は糸島市北部の田園地帯にある墓地群です。  支石墓とは遺体を埋葬した上に大きな上石を置くお墓です。朝鮮半島でよく見られるお墓だそうですが、弥生時代に日本に伝えられたそうです。  発掘調査は1953(昭和28)年に行われ、支石墓10基、甕棺墓8基などが発見されたそうで、国指定史跡となっています。  可也山は標高365mの山で筑紫富士、糸島富士、小富士などと呼ばれています。 (1999(平成11)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/11/17 17:29
伊都歴史資料館(福岡県糸島市)
伊都歴史資料館(福岡県糸島市)  伊都歴史資料館は現在、糸島市立伊都国歴史博物館になっています。伊都国歴史博物館は平成16年10月に開館したそうですから、写真とは建物が違っているようです。なお私が行った当時は前原市で、2010(平成22)年合併により糸島市となりました。  糸島は魏志倭人伝に紹介される伊都国があったとされるところです。資料館で見た銅鏡は今まで見たことがないような大きなものでした。  交通の便があまり良くなかったので筑前前原駅からタクシーを使い資料館まで行きました。 (1999(平成11)年撮影、ネガ) ... ...続きを見る

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2017/11/17 17:28
丸隈山古墳(福岡市)
丸隈山古墳(福岡市)  丸隈山古墳は福岡市西区周船寺にある古墳です。5世紀前半の築造で全長85m、福岡市内では最大規模の前方後円墳だということです。石室を直接見ることができます。福岡市西区から前原市(現糸島市)の史跡を巡ってきた時の写真です。 (1999(平成11)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/11/17 17:27
アクロス福岡の植栽
アクロス福岡の植栽  アクロス福岡は福岡市の中心部、天神にあります。1995(平成7)年、旧県庁跡地に建設された公民複合施設です。南側の天神中央公園に面した部分の階段状の植栽がこのビルの最大の特徴だと思います。  初めて写真に撮ったのが1999年、2枚目からの写真は2015年撮影、植物の成長がよくわかります。 (1999(平成11)年撮影、ネガ 2015(平成27)年撮影、デジタル) 1999年 2015年 ...続きを見る

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2017/11/11 15:52
西鉄津屋崎駅と列車
西鉄津屋崎駅と列車  津屋崎へは福岡市営地下鉄で貝塚まで行き、そこから西鉄宮地岳線に乗り換えて行きました。  宮地岳線は貝塚〜津屋崎間20.8qあったそうですが、西鉄新宮〜津屋崎9.9qが2007(平成19)年廃止され、名称も貝塚線に改称されました。実はこの記事を書くまで廃止のことは全く知りませんでした。写真の風景、今はありません。 (1998(平成10)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/11/11 15:51
津屋崎(漁港と海岸の風景)
津屋崎(漁港と海岸の風景)  津屋崎は福岡県宗像郡にあった町ですが、現在は合併し福津市となっています。町の西北部が玄界灘に面しています。  写真は津屋崎の漁港と海水浴場付近を撮影したものです。  津屋崎は江戸時代から昭和初期まで塩田の積出港として栄え津屋崎千軒と呼ばれていたそうです。 (1998(平成10)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/11/11 15:50
宮地嶽神社
宮地嶽神社  福岡県福津市(旧津屋崎町)にある宮地嶽神社です。  神社のホームページによれば、創建は1700年前、全国にある宮地嶽神社の総本宮とのことです。福岡では商売繁盛の神様としても有名です。  初詣などは多くの参拝客で賑わうのでしょうが、神社に行った時は12月下旬の平日で閑散としていました。 (1998(平成10)年撮影、ネガ) 大注連縄は直径2.6m 長さ11m 重さ3tで日本一大きく、毎年掛け替えるそうです(神社のホームページ) ...続きを見る

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2017/11/04 14:28
吉野ヶ里遺跡
吉野ヶ里遺跡  吉野ヶ里遺跡は佐賀県吉野ヶ里町(旧三田川町、東背振村)と神埼市にまたがる丘陵地帯にあります。推定延長約2.5qの濠に囲まれた日本最大級の弥生時代の環濠集落です。  工場団地造成に伴う1986(昭和61)年からの文化財の発掘調査によって大規模な集落であることが確認されたようです。  写真を撮影した平成10年はまだ復元された建物も少なかったようですが、2001(平成13)年に「吉野ヶ里歴史公園」としてオープンした後は施設も拡充されたようですし、整備は今も続けられているようです。 (1998(... ...続きを見る

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2017/11/04 14:26
関門海峡の夕景
関門海峡の夕景  門司港から見た関門海峡の夕景です。下関の海峡ゆめタワーが見えます。ゆめタワーは1996(平成8)年建設、高さは153mあります。  九州は本州の西にありますが、門司港から見ると下関が西に位置しています。 (2000(平成12)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/10/28 14:19
壇之浦合戦絵巻と関門橋
壇之浦合戦絵巻と関門橋  関門海峡の壇ノ浦と和布刈の間は幅約600mと狭く、早鞆ノ瀬戸(はやとものせと)と呼ばれています。1185年、この海域で源氏と平家の合戦がありました。源平壇之浦合戦絵巻は有田焼陶板の壁画で和布刈公園に設置されています。  関門橋は門司区のノーホーク広場から撮影したものですが、早鞆ノ瀬戸の狭さがわかります。 (1997(平成9)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/10/28 14:18
関門海峡の眺め
関門海峡の眺め  関門海峡は本州(下関市)と九州(北九州市)を隔てる海峡です。  関門とは馬関(下関市)と門司(北九州市門司区)の一文字を取って名づけられているそうです。  写真は北九州市門司区の和布刈(めかり)公園から撮影したものです。 (1997(平成9)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/10/28 14:17
門司港レトロ3
門司港レトロ3  門司港レトロ地区には様々な施設が造られ、下関との周遊で多くの観光客で賑わっているようです。  私は門司港には4回行きましたが、そのうち2回は関門トンネルの人道を通って下関に行き、帰りは船で門司港に戻ってきました。 (2002(平成14)年撮影、デジタル) 門司港レトロハイマートの展望室から  右下の建物が門司港ホテル(1998(平成10)年建築) ...続きを見る

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2017/10/22 12:02
門司港レトロ2
門司港レトロ2  門司港レトロ地区には明治から大正にかけて造られた建物が今も残っています。 前に紹介した門司港駅もその一つですが、他にも個性的な建物があります。 (1997(平成9)年撮影、ネガ)  旧門司三井倶楽部 1921(大正10)年建築旧大阪商船 1917(大正6)年建築 旧門司税関 1912(明治45)年建築 ...続きを見る

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2017/10/22 12:01
門司港レトロ1
門司港レトロ1  門司港レトロは北九州市門司区の観光スポットです。  門司港は明治初期開港。重要な国際貿易の拠点として栄えましたが、戦後は貿易の縮小で港は衰退してきたそうです。   明治から大正にかけて造られた建物が残っており、現在は「門司港レトロエリア」として観光客で賑わっています。門司港レトロは1988(昭和63)年から整備を開始し、1995(平成7)年グランドオープンしました。写真は平成9年に撮影したものですが、グランドオープンした後もまだ整備は続けられていたようです。 (1997(平成9)年撮影、... ...続きを見る

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2017/10/22 12:00
門司港駅
門司港駅  門司港駅は当初は九州鉄道の起点、門司駅として1891(明治24)年開設されました。1942(昭和17)年の関門トンネルの開通により門司駅から門司港駅に改称されました。  写真の駅舎は1914(大正3)年に完成しました。木造2階建て、左右対称の美しい駅舎です。1988(昭和63)年、駅舎としては初めて国の重要文化財に指定されました。現在も駅舎として使用されています。  なお駅舎は2012(平成24)年から保存修理工事が行われており、工事完了は2019年になるそうです。 (1997(平成9)... ...続きを見る

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2017/10/14 17:05
仮面ライダーショー
仮面ライダーショー  長崎市南部のショッピングセンターの屋上駐車場で行われたショーの写真です。仮面ライダーはテレビでもあまり見たことがなくよくわかりませんが、ショーが行われたときはすごい人だかりでした。  3枚目はショッピングセンターの移動販売車の写真です。 30年も前に移動販売が行われていたのは画期的なことだったと思います。 (1987(昭和62)年、1988(昭和63)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/10/14 17:03
シーサイドももち3(福岡ドーム、シーホークホテル)
シーサイドももち3(福岡ドーム、シーホークホテル)  福岡ドーム、シーホークホテルがあるところは福岡市中央区知行、百道の東に隣接した地区です。  福岡ドームは1993(平成5)年建築されました。当時の球団は福岡ダイエーホークスであったと思います。今は「ヤフオクドーム」と呼ばれています。  シーホークホテルは1995(平成7)年開業ということですから、撮影当時はまだ建設中だったと思われます。  写真を撮影した1994(平成6)年、福岡市は渇水で給水制限を行っており、公園などで水を飲もうとして蛇口をひねっても水が出なかったことを覚えています。 ... ...続きを見る

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2017/10/07 14:57
シーサイドももち2(マリゾン)
シーサイドももち2(マリゾン)  マリゾンは、1989(平成元)年、福岡市制100周年を記念して開催されたアジア太平洋博覧会を機に商業施設として建設されたそうです。  私は福岡市に1年間住んでいました。住所は西区室見(現在は早良区)で百道や西新はすぐ近くでした。室見の愛宕神社に登ると百道にはまだ海が広がっていました。こんなに大きく変貌するとは誰も想像できなかったと思います。  私が住んでいた1977(昭和52)年はまだ地下鉄の工事中で、藤崎(区役所がある)の工事現場では甕棺などが大量に出土し見に行ったことを覚えています。 ... ...続きを見る

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2017/10/07 14:55
シーサイドももち1(博物館、福岡タワー)
シーサイドももち1(博物館、福岡タワー) 「シーサイドももち」は福岡市百道(ももち)の海岸を埋め立ててできた地区です。埋め立ては1982(昭和57)年から始まりました。 1989(平成元)年アジア太平洋博覧会(よかトピア)が開催され、閉幕後現在の形へ開発が進められました。  福岡市博物館はアジア太平洋博覧会のテーマ館として建設されました。1990年博物館として開館し、金印(漢委奴国王)や日本号(黒田節の槍)などを展示しています。博物館は当初は福岡市中央区の福岡市歴史資料館(赤煉瓦文化館)にありました。私が初めて金印を見たのは赤煉瓦の資... ...続きを見る

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2017/10/07 14:53
長崎市公会堂3
長崎市公会堂3  長崎市公会堂は1962(昭和37)年開館。鉄骨鉄筋コンクリート5階建、延床面積5,992uで客席数は1,751ありました。設計者は長崎市出身で早稲田大学教授であった武基雄氏です。  建築には詳しくありませんが、公会堂は内装外観が特徴的な建築物であったようです。  (2016(平成28)年撮影、デジタル 1980(昭和55)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/09/30 19:47
長崎市公会堂2
長崎市公会堂2  長崎市公会堂については一度記事を書きました。その時公会堂は解体されそのあとに市役所が建設されると書きました。  「日本近代建築100選」にも選定され、文化遺産として保存を望む声も多かったようですが、今年の6月から解体工事が始まりました。もう作業は終了し更地になっているものと思われます。 (2016(平成28)年撮影、デジタル) ...続きを見る

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2017/09/30 19:45
特急ソニック
特急ソニック  特急ソニックは博多〜大分間を運行する特急列車です。  ソニック(883系)は1995年のダイヤ改正時から運用されているそうですから、写真を撮ったときはまだ運行されていません。  その時は家族旅行で博多駅に着いて、「かもめ」から下りたところ「ソニック」が停車していました。 鉄道ファンと思しき人が大勢いましたから博多駅での新型車両のお披露目であったと思われます。  3枚目の写真は別府駅で撮影したものです。  現在は883系のほか885系白いソニックも運行しています。「白いソニック」は前に紹... ...続きを見る

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2017/09/23 15:59
マリンワールド海の中道(イルカ)
マリンワールド海の中道(イルカ)  マリンワールド海の中道は福岡市東区にある水族館で、1989年開館しました。  初めて行った時の写真です。館内の大水槽も素晴らしく、イルカショーも迫力がありました。  開館して20年以上経過しており昨年10月から全館の改修工事が行われ、今年4月にリニューアルオープンしたそうです。 (1993(平成5)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/09/23 15:58
福岡市動物園
福岡市動物園  福岡市動物園は、初めは1933(昭和8)年に福岡市の東公園に設置され、戦時中は他の動物園と同じく閉鎖されたそうです。  戦後、1953(昭和28)年、福岡市南公園に新たに開園し、今に続いています。園内には子供たちも楽しく遊ぶことができるように遊具等も備えられています。とはいってももう20年以上前に行ったきりですから施設も変わっていることでしょう。 (1989(平成元)年、1994(平成6)年撮影、ネガ) 平成元年 ...続きを見る

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2017/09/23 15:57
造船所の風景など
造船所の風景など  長崎市(当時は香焼町)香焼総合公園展望台から撮影したものです。港の外から長崎港を見た構図になります。  写っているドックは三菱造船所香焼工場です。その奥の方が長崎港です。 (1990(平成2)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/09/16 20:12
長崎スカイタワー
長崎スカイタワー  長崎スカイタワーは、1990(平成2)年の8〜11月に開催された「長崎旅博覧会」の主会場となった松ヶ枝埠頭に建てられた回転式の昇降展望タワーです。全高135m、展望キャビンは100mの高さまで昇ったそうです。  実はこのタワーは、前年名古屋で開催された世界デザイン博覧会のパロマタワーを移設したものだそうです。  スカイタワーは長崎旅博覧会の終了後も営業していましたが、赤字のため平成8年に営業停止、平成11年に解体撤去されました。 (1994(平成6)年、1996(平成8)年撮影、ネガ) ... ...続きを見る

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2017/09/16 20:11
スカイタワーからの眺め(長崎)
スカイタワーからの眺め(長崎)  スカイタワーから撮影した写真です。  1枚目は長崎港を見たもの。写真左手には中小の造船所が写っています。今は造船所も減りました。写真右側は三菱造船所です。写真奥には三菱造船所香焼工場も写っています。港の入口の一番狭い部分に今は女神大橋が架かっています。  2枚目は南山手を撮影したもの。中央にあるのがグラバー邸、その右がくんち資料館、さらにその右は海洋気象台です。  スカイタワーは「長崎旅博覧会」で松ヶ枝埠頭に設置されました。今はもうありません。 (1992(平成4)年撮影、ネガ) ... ...続きを見る

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2017/09/16 20:10
特急の顔
特急の顔  長崎駅に停車中の「特急かもめ」です。 「特急かもめ」は長崎には縁がある列車だと思います。  前はディーゼルの特急かもめが京都、長崎間を(昭和36年頃かららしいです)運行しており、昭和50年の新幹線博多開業で廃止になりました。しかし「かもめ」は1976(昭和51)年長崎本線が電化されたとき電車特急で復活しました。  その後「赤いかもめ」や「ハイパーサルーン」など列車も変わりましたが、現在は「白いかもめ」と「つばめ」型が運行しています。 (1986(昭和61)年撮影、ネガ  2013(平成2... ...続きを見る

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2017/09/09 11:40
石岳動植物園(佐世保)
石岳動植物園(佐世保)  石岳動植物園は「佐世保市亜熱帯動植物園」として昭和36年開園、石岳の中腹にあり市民から「石岳動植物園」という愛称で親しまれてきたそうです。  平成23年、開園50周年を機に「西海国立公園九十九島動植物園」に園名が変わり、愛称が「森きらら」となりました。(森きららのホームページ参照)  随分昔に行ったのでもう施設も変わってしまっているでしょうし、当時のことも写真でしかわかりません。 (1986(昭和61)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/09/09 11:38
関門橋
関門橋  関門橋は山口県下関市と福岡県北九州市の間の関門海峡を跨ぐ道路橋です。1973(昭和48)年開通、橋長は1,068mあるそうです。そんな昔に開通していたとは知りませんでした。  写真は下関側から撮ったものです。撮影場所を地図で調べたのですが、亀山八幡宮からではないかと思います。このあたり今は随分風景が変わっているようですが、1枚目の写真は左側のマンションで撮影場所を推測しました。2枚目は赤間神宮から撮影したものだと思います。  亀山八幡宮の近くには唐戸市場、カモンワーフ、海響館(水族館)があ... ...続きを見る

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2017/09/09 11:37
青葉城からの眺めと政宗公騎馬像(仙台)
青葉城からの眺めと政宗公騎馬像(仙台)  青葉城跡は伊達62万石の城があった所です。標高は約130m、東と南側は断崖で天然の要害になっているそうです。そこから眺めた仙台市街と城跡に立つ政宗公です。 (1983(昭和58)年撮影、ポジ、ネガ) ...続きを見る

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2017/09/02 10:49
松島、港の風景
松島、港の風景  宮城県松島の港の風景です。35年前と現在では風景もすっかり変わってしまっているものと思われます。 (1983(昭和58)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/09/02 10:48
松島、瑞巌寺他
松島、瑞巌寺他  瑞巌寺は828(天長5)年の創建と伝えられ、奥州随一の禅寺であり伊達政宗の菩提寺です。  五大堂は807(大同2)年、坂上田村麻呂が東征のおり毘沙門堂を建立したのが最初で、後に慈覚大師が五大明王を安置したことから五大堂と呼ばれているそうです。  瑞巌寺も五大堂も現在の建物は伊達政宗が再建したものだそうです。(宮城県松島町ホームページ参照) (1983(昭和58)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/09/02 10:47
松島の朝2
松島の朝2  福浦橋と福浦島。福浦橋は全長250m余りの朱塗りの橋、福浦島は自然公園となっています。  東北にはこの写真を撮って以来行っていません。震災からの一日も早い復興を祈念いたします。 (1983(昭和58)年撮影、 ポジ) なお、写真は一泊した旅館から撮影しました。写真のアングルから旅館の位置はわかります。地図で検索しましたが旅館の名前は出てきませんでした。 ...続きを見る

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2017/08/26 21:11
松島の朝1
松島の朝1  宮城県松島の朝の風景です。  松島は「日本三景」(天橋立、宮島とあわせて)と呼ばれていますが、これは江戸時代初期、林春斎「日本国事跡考」(にほんこくじせきこう)に登場するのが始まりとのことです。(日本三景ホームページ)  松島には大小260余りの島があるそうですが、遊覧船で島めぐりなどはしていないので松島の全体の風景は見ていません。 (1983(昭和58)年撮影、ポジ) 写真に写っている筏の様なものは、牡蠣の養殖ではないかと思います ...続きを見る

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2017/08/26 21:10
平泉3(中尊寺2)
平泉3(中尊寺2)  中尊寺には多くの御堂があります。  1枚目の写真のお堂が何という名称なのかわかりませんでした。調べたところ「峯薬師堂」ではないかと思います。峯薬師堂は参道(月見坂)を登って行くと本堂の先にあるそうですが、30数年前に行ったきりなので全く覚えていません。 写真のお堂は新しいような気がしますが、昭和57年に改築されたそうです。 (1983(昭和58)年撮影、ポジ、ネガ) 峯薬師堂 ...続きを見る

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2017/08/19 19:37
平泉2(中尊寺1)
平泉2(中尊寺1)  中尊寺も毛越寺と同じく平安時代に開かれた天台宗の寺院です。12世紀初めに奥州藤原氏の初代清衡公によって大規模な仏塔造営が行われたそうです。 (1983(昭和58)年撮影、ポジ) 金色堂 中尊寺創建当時の姿を伝える建造物です 写真は覆堂で金色堂は覆堂の中にあります ...続きを見る

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2017/08/19 19:35
平泉1(毛越寺浄土庭園)
平泉1(毛越寺浄土庭園)  毛越寺(もうつうじ)は岩手県平泉町にある天台宗の寺院です。創建は平安時代に遡るそうです。写真の庭園は浄土式庭園といわれるそうで、毛越寺のホームページによれば、浄土庭園とは「仏堂と苑池とが一体として配された庭園」と書かれています。  なお、現在の毛越寺本堂は平成元年に建立されたので、私が訪れた時はありませんでした。 (1983(昭和58)年撮影、 ポジ、ネガ) ...続きを見る

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2017/08/19 19:34
山寺3
山寺3  山寺駅とそこから見た山寺を撮影したものです。山寺駅はJR仙山線(当時は国鉄)の駅で寺社を模した造りの駅でした。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ、ポジ) ...続きを見る

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2017/08/12 17:47
山寺2
山寺2  山寺へ行ったのは秋の終わり、前日初雪が降ったということを地元の方に教えていただきました。山寺では五大堂までは登った記憶はあります。奥の院までは行きませんでした。どちらにしても相当な時間をかけて登ったように思います。 (1983(昭和58)年撮影、ポジ、ネガ) 遠くの山がうっすらと雪化粧しています ...続きを見る

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2017/08/12 17:46
山寺1(山形)
山寺1(山形)  山寺は正しくは「宝珠山立石寺」というそうです。天台宗の寺院で創建は平安時代まで遡るとのことです。室町時代は戦火で衰えたりした時期もあったそうですが、江戸時代には再建整備され現在は約33万坪の境内を持ち、30余りの堂塔が残されているそうです。  山寺と言えば松尾芭蕉も訪れ名句を残したことで有名です。 (1983(昭和58)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/08/12 17:45
長崎の夜景
 写真は長崎市の風頭山から撮影したものです。夜景を撮ったのはこの時が初めてです。当然、三脚、レリーズを使い撮影しましたが、絞り、露出時間など全く覚えていません。  世界三大夜景とか言っていますが、公的な国際機関(そういうものはありません)で決定されたわけでもありません。どこの夜景もきれいです、比較なんてできません。  それよりも環境が悪くなったからでしょうか。私が子供の頃は長崎市内でも夜空に「天の川」がきれいに見えていました。しかし今は殆ど見えません。夜景だ、イルミネーションだという前に自然... ...続きを見る

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2017/08/05 19:30
高浜海水浴場の夕日(長崎)
 高浜海水浴場は長崎市南部、野母崎(高浜)にあります。波は穏やかで、遠浅の海は家族で海水浴に行くのに適していました。私も子供を連れて何度も遊びに行きました。当時は民間の貸桟敷がたくさんあり1日ゆっくりと遊ぶことができました。  少子化や海で遊ぶ子供が減ったのでしょうか、貸桟敷もなくなりました。コンクリート造りの新しいレストランや桟敷ができましたが、昔の桟敷が懐かしいです。  なお、この写真は前に軍艦島の記事でも紹介しました。 (1983(昭和58)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/08/05 19:29
西海橋2
 西海橋は前に一度記事を書きました。今回は撮影場所を変えて撮影したものです。  今は新西海橋が開通し西海橋と並行して架かっています。新西海橋が架かっている道路は「西海パールライン」と呼ばれ有料道路になっています。新西海橋の桁下には歩行者専用道(無料)があり眼下に渦潮を見ることができます。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ  2015(平成27)年、2016(平成28)年撮影 デジタル) ...続きを見る

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2017/08/05 19:28
千々石海岸(島原半島)
 千々石展望所(「じゃがちゃん」で有名)から撮影したものです。千々石海岸は約2qの砂浜と松の防風林がきれいな海岸です。季節は春先で、波が高かったのか白波がよく写っています。  ここには千々石海水浴場があり、夏は海水浴客で賑わっているようですが、今年は砂の流失により石や岩が露出し海水浴場は閉鎖となったようです。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ  2014(平成26)年撮影、デジタル) ...続きを見る

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2017/08/05 19:27
港の風景(長崎市戸町)
 戸町は長崎市の南部、長崎港の入口に位置しています。港は入り江が深く入っており、中小造船の工場が多くありました。  写真は戸町の港を撮影したものです。今も工場は稼働しているようですが造船所の数も減っているようですし、昔のような活気はありません。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ) 写真右の船 戸町〜向島の文字が見えますが、「向島」は三菱造船所本工場本館ビルの下、世界遺産「第三船渠」がある付近で戸町からそこまで通勤用の船が出ていたようです ...続きを見る

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2017/07/29 18:00
長崎港口を望む
 長崎港の外、湾の出口付近を撮影した写真です。撮影場所は鍋冠山だったと思います。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ) 写真上 霞んでいる島は左が香焼島、右が伊王島 香焼島の造船所 この写真は港の中を撮影したものですが、 撮影場所はよく覚えていません おそらく南山手の海洋気象台の上ではなかったかと思います ...続きを見る

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2017/07/29 17:58
長崎、港の風景あの頃8(クレーンと港の風景)
 長崎市国分町からクレーンと港を写した写真です。国分町は長崎港の入り口から奥まで望むことができる眺めの良い所です。  国分町の町名は町のかなりの部分を所有し居住していた国分氏(個人名)に由来するようです。町内に国分氏の像と石碑があったと思います。  また、この場所は港を眼下に見下ろす地であるため、外国船の出入り監視や警備のため江戸時代には戸町番所が置かれました。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ) 写真の下の入り江の奥に世界遺産「小菅修船場(そろばんドック)」があります ...続きを見る

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2017/07/29 17:30
長崎、港の風景あの頃7(南山手〜琴平から対岸を見る)
 長崎市の南山手町、琴平町から対岸の三菱造船所方面を撮影した写真です。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/07/29 17:28
港と街並み(長崎)
 浪の平、琴平付近から長崎港の奥(大波止方面)にカメラを向けて撮影したものです。浪の平から小曾根にかけては中小の造船所がたくさんあったようですが、今は随分減りました。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ   2016(平成28)年撮影、デジタル) 昭和58年 平成28年 平成28年 昭和58年 昭和58年 昭和58年 港の真ん中にタンカーや貨物船と思われる船舶が係留されているようですが、今はあまり見ることがない風景です 昭和58年 平成28年 ...続きを見る

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2017/07/23 15:51
長崎、市街地の風景2
 前回の記事と同じく鍋冠山とその近辺から撮影した市街地の風景です。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ  2016(平成28)年撮影、デジタル) 昭和58年 中央左から右は海星高校です。それより上の部分が中心市街地です。今はなくなったデパートや証券会社の看板が写っています。 平成28年 昭和58年 平成28年 昭和58年 ...続きを見る

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2017/07/23 15:31
長崎、市街地の風景1
 鍋冠山とその近辺から撮影した長崎市の中心市街地の風景です。ビルが密集しています。35年の時間が経過しているので市街地の風景もかなり変わっているはずです。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ  2016(平成28)年撮影、デジタル) 昭和58年 手前大浦町、中央やや下が梅香崎中学校 その上活水学院 平成28年 昭和58年 写真左 大浦海岸通りにはまだ倉庫群がありました 景観を害する高層マンションはまだありません平成28年 昭和58年 取り壊されたグランドホテル、名称が変わったダイ... ...続きを見る

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2017/07/23 15:29
密集する住宅3(長崎)
 長崎市日の出町、川上町、出雲方面を撮影したものです。  斜面地の住宅は眺望の良さなどもあるでしょうが、高齢化が進んでいくため斜面地に住むことは厳しい部分もあります。人口減によりこれからは空き家が増えていくことになるのでしょう。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/07/15 22:17
密集する住宅2(長崎)
 長崎市下町、東山手町方面を撮影したものです。  1枚目の写真右側の校舎は北大浦小学校ですが、廃校となり校舎は解体されました。写真左上には海星高校が写っています。  写真2枚目、奥の方が中心市街地になります。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/07/15 22:15
密集する住宅1(長崎)
 長崎は平地が少ないため宅地は段々と山の上へ広がっていったようです。そのため斜面に家が密集する独特の風景が見られます。  写真は鍋冠山から東方向、椎の木町、高丘方面を撮影したものです。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ) 1枚目をトリミングしたもの 写真のやや上部に三つ並んだ建物は長崎南高校 ...続きを見る

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2017/07/15 20:10
出雲浄水場と小ヶ倉ダム(長崎)
 長崎市の水道の歴史は全国的にも古く、明治時代の本河内貯水場、浄水場の完成がその始まりとのことです。  写真の出雲浄水場と小ヶ倉ダム(小ヶ倉水源地)は1926(大正15)年に完成しました。小ヶ倉ダムは長崎市上戸町にあり出雲とは山一つ隔てていますが、実は出雲と上戸町はトンネルで繋がっているそうです。もちろん水道施設ですから入ることはできませんが、トンネルの入り口は見ることができます。  1987(昭和62)年、小ヶ倉浄水場が完成し出雲浄水場は廃止されました。なお、出雲浄水場の跡地は2010(平... ...続きを見る

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2017/07/15 20:08
長崎、港の風景あの頃6(街並みと港)
 鍋冠山の展望台から港と街並みを撮影したものです。  当時と比べると長崎の港からは漁船の姿は消え、港の周りに高層マンションが増えました。特に東山手から港を見下ろすところに多くのマンションが建てられ、景観が非常に悪くなったように思われます。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ  2016(平成28)年撮影、デジタル) ...続きを見る

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2017/07/15 17:17
長崎、港の風景あの頃5(松ヶ枝〜大波止〜旭町)
 長崎港の中心部分が変化していったのは1985(昭和60)年頃からではないかと思います。撮影した写真では松ヶ枝岸壁は工事中です。工事中であった松ヶ枝岸壁が国際観光船用として供用が開始されたのが1985(昭和60)年だそうです。  その後魚市場の移転が1989(平成元)年、現在「水辺の森公園」となっている海域の埋め立ては1989(平成元)年頃着手されたようで、公園は2004(平成16)年に完成しています。また大波止の長崎港ターミナルビルは1995(平成7)年に完成しています。 (1983(昭和... ...続きを見る

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2017/07/15 17:14
長崎、港の風景あの頃4(造船所2)
 長崎では造船業が地域の基幹産業であり、地域の経済、雇用に与える影響は大きいところがあるようです。  造船業は現在、中国、韓国などとの競争にさらされ厳しい状況にあるようです。長崎は三菱の企業城下町といわれてきましたから長崎の衰退もこの辺に原因があるのかもしれません。  なお、前回と今回の写真は鍋冠山展望台から撮影しました。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ) 手前の地区(浪の平)にも中小造船所が沢山ありました ...続きを見る

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2017/07/08 20:22
長崎、港の風景あの頃3(造船所1)
 三菱長崎造船所は三菱重工業の発祥の地です。三菱重工業のホームページによれば、長崎造船所(本工場)の欄には、「1857(安政4)年徳川幕府の長崎熔鉄所設立に始まる」と記載されています。  造船業は日本の近代化を推進してきた基幹産業でしたが、今は国際競争にさらされ厳しい状況にあるようです。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/07/08 20:13
長崎、港の風景あの頃2(松ヶ枝から常盤町)
 港の写真は結構撮っています。今回の写真は松ヶ枝から常盤町方面を撮影したものです。当時の港は今と比べると雑然とした感じもしないではありませんが、船の数も多く今よりも活気があったように感じます。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/07/08 17:02
長崎、港の風景あの頃1(大波止付近)
 長崎は港を中心として発展した街です。更なる発展を続けるためでしょうか、港は大規模に埋め立てられ、新しいターミナルビルや商業施設なども造られ港の景観も随分変わりました。しかし長崎市の人口減少は続き、港がきれいになっても街全体としては衰退しているという感じは否めません。  写真1枚目、2枚目は大波止の写真です。大波止は五島や高島、伊王島への船の発着場所です。写真の倉庫と思われるところに今は新しい旅客船ターミナルが造られています。  3枚目は出島岸壁です。現在は「出島ワーフ」という商業施設になっ... ...続きを見る

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2017/07/08 17:01
回転レストランからの眺め2(長崎)
 回転レストラン「ロンド」から港を眺めた写真です。季節は夏、8月だったと思います。このときは天気が良かったので周りの景色もきれいに見えたことを覚えています。  回転レストランは50分から1時間で1周回っていたと思います。ビルの屋上では夏場はビアガーデンもやっていたようです。  昼休み時間に二人で食事をした時に撮影したものですが、一緒に食事をした人は今私の奥様となっています。 (1983(昭和58)年夏撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/07/01 17:17
回転レストランからの眺め1(長崎)
 かつて長崎市万才町の住友生命ビルに回転レストランがありました。名前は回転ラウンジ「ロンド」であったと記憶しています。ビルは15階建てで15階が「ロンド」、13階にもレストランがありました(こちらは「チサン」という名前であったと思います)。  「ロンド」はもう営業をしていませんが、建物はそのまま残っています。 (1983(昭和58)年正月撮影、ネガ) 北西方向、長崎駅方面、稲佐山や魚市場が写ってます 直下の建物は電電公社(現NTT)、公社のマークの横に「電報電話」の文字が見えます ...続きを見る

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2017/07/01 17:15
干し場の風景など(長崎)
 写真の撮影場所は、長崎市の小ヶ倉漁港です。これまで何度か写真を紹介してきた所です。  1枚目の写真は県道(現国道)から港の外側に向けて干し場を撮影しています。干し場は竹(おそらく真竹)でできています。この干し場で何かを干しているところを見た記憶はありません。おそらく海産物を干したり、他の作業に利用されたのだと思います。干し場は今はありません。この漁港を出てすぐ左が柳埠頭、その奥に三菱重工香焼工場のクレーンが見えています。 (1982(昭和57)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/07/01 17:14
佐世保の風景2(港の施設など)
 佐世保港は別名「葉港」(ようこう)と呼ばれています。「葉」という文字をくずすと サ セ ホ になるので「葉港」と呼ばれる、2年前乗車した観光バス(SASEBOクルーズバス「海風」)のガイドさんから教えていただきました。  また、佐世保湾がヤツデの葉のような形状をしていることにも由来しているようです。 (1982(昭和57)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/06/24 19:20
佐世保の風景1
 写真は佐世保市の弓張岳から撮影したものです。  佐世保市は長崎県北部の中心都市です。佐世保市のホームページによると、佐世保は明治初期までは人口約4,000人の半農半漁の一寒村であったそうです。明治19年の旧海軍鎮守府設置で急速に発展、明治35年には村から市になりました。  戦後は西海国立公園(昭和30年指定)やハウステンボス(平成4年オープン)などリゾート施設も整備され、多くの観光客が訪れているようです。  35年前に撮影した写真ですから、今は風景も随分変わっているものと思います。 (... ...続きを見る

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2017/06/24 19:19
由布岳
 由布岳は大分県にある標高1,583mの活火山です。独立峰で「豊後富士」とも呼ばれています。  由布岳には正面登山口から登ったように記憶しています。東峰と西峰がありマタエという所で登山道が分岐していますが、西峰は急峻なため登りやすい東峰に登ったように思います。頂上からの眺めはいいはずなのですが、昔のことなので覚えていません。  湯布院は当時はまだひなびた温泉地というイメージでしたが、かなり前から温泉保養地としての取り組みがなされていたようで、今では一度は行きたい観光温泉地として有名になってい... ...続きを見る

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2017/06/23 22:27
長崎港の眺め2
 長崎港の港口(柳埠頭)から港の中央部を撮影した写真です。 (1982(昭和57)年頃撮影、ポジ) 写真の左側が三菱重工業長崎造船所(本工場)です ...続きを見る

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2017/06/17 20:16
港の風景(長崎市小ヶ倉2)
 長崎港口に位置する小さな港の風景です。ここの写真を掲載するのは2度目になります。 (1982(昭和57)年頃撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/06/17 20:15
造船所と埠頭(長崎)
 三菱重工業長崎造船所香焼工場と長崎港口(小ヶ倉)の柳埠頭の写真です。  香焼は元は島でしたが、工業用地として埋め立てが行われ陸続きとなりました。長崎造船所(長船)香焼工場は、1972(昭和47)年に完成した100万トンドッグを要する三菱重工業最大規模の工場だということです。  柳埠頭は小ヶ倉地区の埠頭です。当時は建物も少なく広い敷地が広がっていました。現在は倉庫、物流施設なども建設され、バスの営業所などにも利用されているようです。また新たに埠頭の埋め立て拡張工事が行われています。 (19... ...続きを見る

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2017/06/17 17:10
長崎港の眺め
 長崎港を高台から眺めた写真です。撮影場所は長崎市立山付近であったと思います。  上空から見ると鶴が羽を広げたように見えるので「鶴の港」と呼ばれているそうですが、今では埋め立てが進み35年前の写真とは全く違う風景になっているはずです。 (1982(昭和57)年頃撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/06/14 17:19
長崎駅構内の風景他
 写真は国鉄時代の長崎駅構内を撮影したものです。撮影場所は駅の北東方向、西坂町、御船蔵町から立山付近だと思います。  写真を見ると浦上川の川岸近くまで駅の敷地であったようで、広大な車両基地等が広がっていたようです。  ちなみに鉄道が初めて長崎に開通した際(九州鉄道、1897(明治30)年)、長崎駅は現在の「浦上駅」にありました。1905(明治38)年路線が延伸され現在の「長崎駅」が開業し、それまでの長崎駅は「浦上駅」に改称されました。 現浦上駅には「長崎駅址」の石碑があります。 (198... ...続きを見る

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2017/06/13 21:09
電話ボックス(長崎)
 この電話ボックスは、長崎駅前の高架広場にありました。電話ボックスのすぐ向こう(西側)が長崎駅で、駅舎の屋根が写っています。駅前高架広場は1969(昭和44)年の完成で、全国で初めての駅前高架広場だということです。  なお写真の電話ボックスは現在ありません。しかし携帯電話の普及等で電話ボックスが減っていく中、写真と同じ場所にはまだ箱形の電話ボックスが設置されています。 (1983(昭和58)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/06/11 17:08
駅前高架広場から見た風景(長崎)
 長崎駅前の高架広場から東方向(大黒町、筑後町)を撮影したものです。現在の写真は撮っていませんが、この風景は今はかなり変わっています。  写真の右側に福済寺の「万国霊廟長崎観音」の観音様が写っていますが、今は高い建物が増え高架広場からは見えないのではないかと思います。 (1983(昭和58)年撮影、ポジ   1980(昭和55)年頃撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/06/11 11:15
長崎駅前今昔2
 長崎駅前の歩道橋から撮影した写真です。  前に「長崎駅前今昔」の題で歩道橋から南方向を撮影した写真を掲載しました。今回は歩道橋から北方向を撮影したものです。道路は変わりませんが、やはり建物は変わっています。 (1983(昭和58)年撮影、ポジ   2016(平成28)年撮影、デジタル) 1983年 2016年 ...続きを見る

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2017/06/10 17:22
長崎駅2
 長崎駅は前に一度写真を掲載しました。写真の三角屋根の長崎駅舎は3代目で、1949(昭和24)年に建設されました。  なお、現駅舎(4代目)は2000(平成12)年に完成しましたが、長崎新幹線の開通に合わせ駅の位置が変更されるようで、新しい駅舎(5代目?)が建設されることになるようです。 (1982(昭和57)年頃撮影、ネガ   1983(昭和58)年撮影、ポジ) 1983年ポジ 1983年ポジ 1982年頃ネガ 1982年頃ネガ ...続きを見る

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2017/06/10 10:55
ペーロン2
 長崎港内のペーロン大会は今も行われていますが、当時と今ではコースが変わっているようです。  現在のスタート地点は松ヶ枝ですが、当時は港の奥、大波止付近ではなかったかと思います。そして当時は港の中央部で競漕していたのではないかと思います。今は港の東側、松ヶ枝岸壁に近いところにコースが変わっているようです。 (1982(昭和57)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/05/21 17:11
ペーロン1
 長崎のペーロンについては、前に一度(港の風景(ペーロン))という題で書きました。今回が2度目です。銀塩写真でペーロンを撮影したのはこれが最後だと思います。  撮影当時持っていたレンズは200ミリが最も長く、船を大きく撮影することは困難でした。一部トリミングしています。 (1982(昭和57)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/05/21 17:10
港の風景(長崎、南山手から)
 南山手から写した風景です。 (1982(昭和57)年頃撮影、ネガ) 右側の建物は「ロマン長崎会館」、宿泊や宴会の施設だったと思います 今は取り壊されバスの駐車場になっています 写真奥(対岸)は造船所、手前の建物は長崎バスの松ヶ枝営業所 ...続きを見る

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2017/05/17 17:14
港の風景(長崎、松ヶ枝付近から)
 長崎港、松ヶ枝から撮影した港の風景です。  1枚目は、松ヶ枝から港の奥の方を撮影したもの。写っている橋は旭大橋、1982(昭和57)年1月18日開通しました。橋は浦上川の出口に架かっています。右側には魚市場が見えます。出ていく船は伊王島、高島への連絡船だと思います。 手前、砂が積まれているようですが、これはおそらく松ヶ枝岸壁を大型の船が接岸できるよう工事するためのものだと思います。  2、3枚目は造船所方面を撮影したものです。 (1982(昭和57)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/05/17 17:13
港の風景(長崎港)
 写真は長崎港、おそらく松ヶ枝岸壁だと思います。松ヶ枝岸壁は今では15万トンを超える客船が接岸しています。当時は大きな船は接岸できませんでした。写っている船は巡視船だと思います。  遠くに白く写っているのは仏舎利塔。長崎の仏舎利塔は1970(昭和45)年に建立されました。  そのすぐ下の部分、長崎グランドホテルが写っています。長崎では歴史ある有名なホテルでしたが、2007(平成19)年閉館しました。閉館後解体されましたが、市の中心部でありながらその後何か建設されるでもなく廃墟のような形で残さ... ...続きを見る

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2017/05/17 17:12
オランダ5
(1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/08 20:29
オランダ4(マドローダム3)
(1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/08 20:28
オランダ3(マドローダム2)
(1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/08 20:27
オランダ2(マドローダム1)
 マドローダムはオランダにあるミニチュアパークです。25分の1のスケールでオランダの街並みを再現しているそうです。1952年の開園ということですから、街並みも年代に合わせ変えているんでしょうか。 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/08 20:26
オランダ1(風車)
 オランダには今でも1,000基以上の風車があるそうです。風車の重要な目的は穀物の栽培や洪水の防止のため、低地から水を汲み上げ堤防の外に戻すことだと思います。その他にもいろんな役割を果たしているのでしょう。 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/08 20:25
ウィーン4
(1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/04 21:50
ウィーン3
(1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/04 21:49
ウィーン2
(1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/04 21:48
ウィーン1(路面電車など)
 ウィーンはオーストリアの首都。  かつてウィーンは世界最大の路面電車王国であったそうです。地下鉄の整備が進み、路面電車は地下鉄の補完的な役割になりつつあるそうです。それでも総延長180q、32系統の大規模なネットワークを抱えているそうですから、今でも市民の重要な交通手段になっているんでしょう。 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/04 21:47
ザルツブルクからウィーンへ
 列車は座席も広くゆったりとしていました。軌道が広いせいかあまり揺れなかったようです。キロポストでざっと計算して、時速90〜100qぐらいで走行していたように記憶しています。 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/02 19:54
ザルツブルクの駅と列車
 ザルツブルクからウィーンまでは列車を利用しました。駅には改札がありませんでした。しかし不正を行うとものすごい罰金を徴収されると添乗員が言っていたように思います。  線路の幅は広く、おそらく標準軌(日本の新幹線と同じ)であったと思います。 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/02 19:53
ザルツブルク4
(1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/04/25 21:40
ザルツブルク3
(1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/04/25 21:39
ザルツブルク2
(1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/04/25 21:38
ザルツブルク1(トロリーバス)
 ザルツブルクはオーストリアの中央部に位置する街です。「ザルツ」は塩、「ブルク」は砦を意味しているそうです。  写真のトロリーバスは、三脚、レリーズなど持っていきませんでしたので、ホテルの窓枠にカメラを固定して撮りました。トロリーバスは、ザルツブルクの市内中心部の交通手段として活躍しているそうです。環境への配慮があるんでしょうね。  掲載している写真は、1枚目がポジをスキャンしたもの、2枚目がポジからプリントしてもらったものをスキャンしたものです。相当の年月が経過しており、どちらが当時肉眼で... ...続きを見る

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2017/04/25 21:37
パリ4
(1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/04/21 21:55
パリ3
(1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/04/21 21:54
パリ2
(1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/04/21 21:53
パリ1
 一度だけ海外旅行を経験しました。当時は為替レートが1ドル230円ぐらいの時代でした。その時撮った写真の一部を掲載します。  団体旅行で、もうかなり前のことですから撮った写真についてはどこを撮影したものかもよくわかりません。ブログをご覧いただいた方が知っている風景があれば幸いです。 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/04/21 21:52
コンコルド
 コンコルドは、イギリスとフランスが共同開発した超音速旅客機です。1976年から定期運航を開始しました。しかし、長い滑走距離、騒音、衝撃波、飛行距離の短さなど、商業的には失敗で、生産数も少なく、2003年すべて退役しました。  私は長崎でコンコルドを見ました。ものすごい音と速さで上空をあっという間に飛んでいきました。ウィキペディアで調べたところ、長崎旅博覧会の協賛イベントツアーでコンコルドが長崎空港に飛来(1990(平成2)年9月2日)とありました。  写真のコンコルドはヨーロッパへ行った時... ...続きを見る

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2017/04/17 20:39
アンカレッジ空港
 アンカレッジ空港はアメリカ合衆国アラスカ州にある空港です。当時は給油のため多くの航空機がアンカレッジ空港へ寄港し、給油後ヨーロッパ等へ向かっていたようです。今は航続距離が向上した航空機による直行便が就航し、アンカレッジ経由は減少しているとのことです。  一度だけ海外旅行をしました。 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) 私が乗っていたジャンボ機 アラスカの山 ...続きを見る

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2017/04/17 20:38
佐賀駅など
 佐賀駅は長崎本線では唯一の高架の駅だと思います。1976(昭和51)年2月に高架化が完了し、もとあった駅から100mほど北側へ移転しました。昔の駅の思い出はありませんが、列車が昔の佐賀駅に停車した時、天気が悪かったのかホームが真っ暗だったことは覚えています。  佐賀駅の移転後、1976(昭和51)年6月、長崎本線が電化されました。特急「かもめ」が復活し、さっそく長崎へ帰省するときに利用したことも覚えています。 (1981(昭和56)年頃撮影、ネガ) 鳥栖方向 長崎方向 ...続きを見る

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2017/04/17 20:37
大浦天主堂への坂道
 長崎市南山手の観光地、大浦天主堂、グラバー園へ至る坂道です。  この坂道はかつて「下り松(さがりまつ)オランダ坂」と呼ばれていたそうですが、全く知りませんでした。今は「グラバー通り」という名称で一般的に呼ばれているそうです。あまり関心がないことなのでどうでもいいんですが。  この写真は、旧香港上海銀行長崎支店(石造りの洋館)から撮影しました。当時は長崎市歴史民俗資料館であったと思います。 (1981(昭和56)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/04/11 15:00
長崎の船と港の風景
 長崎港で撮影した船や港の風景です。 (1981(昭和56)年頃撮影、ネガ) 対岸の造船所、稲佐山を望む 浪の平付近に停泊していた漁船 ...続きを見る

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2017/04/11 14:04
車窓から見る諫早湾
 長崎本線の列車に乗って撮影した諫早湾の風景です。諫早湾は平成の干拓が行われ、写真の風景と今の風景はかなり違っているものと思われます。なお、諫早湾が閉め切られてから今月でちょうど20年だそうです。 (1981(昭和56)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/04/11 13:07
マリア園(長崎)
 マリア園、実はこの建物の正式な名称がマリア園なのかよくわかりません。前からみんなそう呼んでいました。明治時代に建てられたそうで、長崎の洋館では大きい方だと思います。  マリア園は南山手町にあります。施設の南隣にどんどん坂があります。なお、マリア園は観光施設ではありませんので立ち入ることはできません。 (1981(昭和56)年頃、1983(昭和58)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/04/10 19:15
平戸3(平戸大橋)
 平戸大橋は、平戸島と本土を結ぶ吊り橋です。1977(昭和52)年開通しました。当初は有料でしたが、2010(平成22)年から無料となっています。 (1981(昭和56)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/04/10 17:13
平戸2
 平戸市は、平戸島が中心で連絡船は重要な交通手段であったようです。 (1981(昭和56)年撮影、ネガ) 連絡船が多く発着しているようです   写真左奥が松浦資料館 ...続きを見る

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2017/04/10 17:12
平戸1(寺と教会)
 平戸市は長崎県の北部に位置する街です。平戸に最後に行ったのは35年程前です。あの頃とは街並み、風景も随分変わっていることだろうと思います。  平戸ザビエル記念教会、光明寺、瑞雲寺が交差して見える風景は、今でも平戸を代表する風景だと思います。 (1981(昭和56)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/04/10 17:11
炭坑舎(長崎)
 炭坑舎は、三菱高島炭鉱の事務所であった木造洋館です。私が知っている限りでは一番海岸に近い洋館であったと思います。  1985(昭和60)年、解体されました。今は、「史跡 三菱合資会社長崎支店跡」の碑が建っているだけです。 (1981(昭和56)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/04/05 21:32
金刀比羅神社の花見(長崎)
 写真の金刀比羅神社は、長崎市東琴平1丁目、長崎の港を見下ろす位置にあります。撮影当時は花見もにぎやかに行われていたようです。  2年程前の桜の季節に行った時は、写真の花見の場所は車の駐車場のようになっており、桜も少なくなっていました。今年、地元の青年会により「桜まつり」が三十数年ぶりに行われるというニュースを聞きました。 (1984(昭和59)年撮影、ネガ) 神社の上から見下ろした花見の風景、写真奥は三菱長崎造船所 神社から長崎港方面、写真右下は浪の平小学校(今は閉校、校舎も解体されて... ...続きを見る

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2017/04/05 21:30
通潤橋の放水
 通潤橋へ行った時は旧矢部町の「八朔祭」が行われており、通潤橋の放水を見ることができました。放水は豪快で迫力満点でした。  昨年4月、熊本で大地震が起きました。地震で通潤橋も大きな被害を受けました。通潤橋は立入禁止で、放水もできない状況になっているようです。1日も早い復旧をお祈りします。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/03/29 17:58
通潤橋
 通潤橋は熊本県山都町(旧矢部町)にある石造りのアーチ橋です。1854(嘉永7)年架橋。  阿蘇外輪山の南側、五老ヶ滝川の谷に架けられた水路橋です。橋の中に通水管が通っており、水源に乏しい白糸台地に農業用水を送るために架橋されました。橋長は78m、国の重要文化財に指定されています。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/03/29 17:56
五老ヶ滝(熊本)
 五老ヶ滝は、熊本県上益城郡山都町にあります。撮影当時は矢部町でした。落差50m。近くに有名な通潤橋があります。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ ネガプリントをスキャン) ...続きを見る

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2017/03/29 17:54
九十九島(佐世保)
 九十九島は、長崎県佐世保港の外側に点在する島々です。区域は西海国立公園に指定されています。九十九とはたくさんあるという意味だそうで、実際の島は208あるそうです。写真1枚でその全域をとらえることはできません。  写真の九十九島はどこから撮影したものかよく覚えていませんでしたが、調べたところ佐世保市の船越展望所から撮影したものではないかと思います。 (1981(昭和56)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/03/27 18:10
聖福寺2(長崎)
 2014年、聖福寺の大雄宝殿、天王殿、鐘楼、山門が国の重要文化財に指定されました。これにより大雄宝殿などの補修保存が進むことを期待しています。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ 他) 天王殿(2013年、デジタル) 山門(1983年、ネガ) 山門の扁額(1983年、ネガ) 鐘楼(2014年、デジタル) 聖福寺の瓦塀(2014年、デジタル) 大雄宝殿の上から鐘楼を見下ろす(2014年、デジタル) ...続きを見る

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2017/03/27 18:08
聖福寺1(長崎)
 万寿山聖福寺は、1677年建立。黄檗宗の寺院です。崇福寺、興福寺、福済寺と合わせて「長崎四福寺」といわれています。  寺の雰囲気や景観が好きで、私は聖福寺へはよく行っています。何より聖福寺は、崇福寺や興福寺と違い、拝観自由(拝観料が不要)です。  なお、聖福寺(大雄宝殿)は老朽化が進んでいます。早急な補修が必要だと思われますが、そのための募金活動も行われているようです。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ  2013(平成25)年撮影、デジタル 他) 大雄宝殿(2013年、デジタル) ... ...続きを見る

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2017/03/27 18:07
興福寺(長崎)
 1624(寛永元)年に創建された、日本最古の黄檗宗の寺院です。山門が朱塗りであるため「あか寺」とも呼ばれるそうです。 (1976(昭和51)年、1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) 山門 大雄宝殿 大雄宝殿、昭和55年頃撮影 写真奥、鐘鼓楼 ...続きを見る

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2017/03/17 19:48
諏訪神社からの眺め(長崎)
 長崎市の諏訪神社は、鎮西大社と称えられる長崎の総氏神様であるそうです。  諏訪神社の一年で最も重要な祭典を例祭というそうで、例祭は「長崎くんち」と呼ばれており、全国的にも有名です。 写真は諏訪神社から見下ろした街の眺めです。石段の下、四角の部分がおくんちの奉納踊りをするところです。  参道下の街の様子は今はもう随分変わっていると思います。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/03/17 19:47
崇福寺(長崎)
 1629(寛永6)年、長崎在住の唐人が中心となって創建した黄檗宗の寺院です。写真は40年前に撮影したものですが、現在の崇福寺も変わりはないと思います。 (1976(昭和51)年撮影、1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) 三門、別名「竜宮門」ともいわれています 三門(第一峰門から、昭和55年頃撮影) 第一峰門、国宝 大雄宝殿、国宝 ...続きを見る

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2017/03/17 19:45
大波止桟橋の船(長崎)
 長崎市大波止桟橋で撮影した写真です。  1枚目の写真、「あんぜらす」(野母商船)は納涼船となっていますが、1974(昭和49)年に長崎〜香焼航路の旅客船として就航しました。夏場は納涼船としても使用していたようです。  2枚目の写真は五島からのフェリーの入港です。「フェリー出島」(九州商船)は1974(昭和49)年、長崎〜下五島航路に就航。1984(昭和59)年からは鹿児島〜種子島航路に配転されました。  3枚目の双胴旅客船は「ぐらばあ」(野母商船)です。1972(昭和47)年、長崎〜香焼... ...続きを見る

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2017/03/17 18:02
大江教会(天草)
 大江教会は1933(昭和8)年の建築、天草では最も早く造られた教会です。  初めてこの教会へ行ったのは1975(昭和50)年夏、自転車で旅行した時です。この時は鹿児島県から天草へフェリーで入り、まず崎津教会を見て、それから大江教会へ行きました。  崎津教会は1934(昭和9)年建築、内部が畳敷きであったのはよく覚えています。大江教会の内部は見ていません。  写真を撮ったのは2度目に行ったときです。残念なことに崎津教会の写真は撮っていません。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ... ...続きを見る

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2017/03/17 17:58
日本丸2
 日本丸(初代)は、1985(昭和60)年に2代目の日本丸が就航したため現役を引退しました。  ところで当初日本丸と海王丸には西洋帆船によく取り付けられている船首像がありませんでした。2代目の日本丸が就航した際、日本丸と初代海王丸に船首像が設置されました。日本丸の像は「藍青(らんじょう)」、海王丸のは「紺青(こんじょう)」というそうです。 なお、1989年初代海王丸の引退により、「紺青」は、2代目の海王丸に引き継がれました。  3年前、「ながさき帆船まつり」のとき、私は日本丸の船首像「藍青」... ...続きを見る

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2017/03/13 17:50
日本丸1
 日本丸(初代)は、1930(昭和5)年建造された練習帆船です。全長97m、総トン数2,278t、最高マスト高46m。先に記載した海王丸の姉妹船です。  1984(昭和59)年まで現役でした。1985(昭和60)年、横浜のみなとみらい地区に保存され一般公開されています。私も横浜で見ました。  なお写真の撮影場所は、長崎港(出島岸壁)です。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/03/13 17:47
諫早湾干拓地
 諫早湾の干拓は600年も前から行われてきたそうです。  干拓は遠浅の海を仕切り、そこの水を抜いたり干上がらせて陸地にするものです。諫早湾の干拓は、以前から海を完全に締め切らない自然環境を利用した「地先干拓」が行われてきました。  平成の国営諫早湾干拓事業では、堤防で閉め切り内側に干拓地と調整池を造る「複式干拓」というものが採用されました。1997年諫早湾の一部は締め切られ、干潟が消滅しました。  現在の干拓地の写真は撮っていません。 (1980(昭和55)年頃、1981(昭和56)年頃... ...続きを見る

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2017/03/07 20:56
諫早湾(長崎)
 諫早湾は九州有明海の中央部から西側に入り組んだ湾です。「泉水海」とも呼ばれるそうです。  平成の諫早湾干拓で湾は狭くなり、特有の干潟がなくなりました。  写真に写っている赤い植物は「シチメンソウ」だと思います。シチメンソウは日本の固有種で、有明海の干潟にだけ分布するそうで、絶滅危惧種に指定されているそうです。長崎県では干拓により絶滅したそうです。  写真の風景は、今はもう見ることはできません。 (1980(昭和55)年頃、1981(昭和56)年頃撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/03/07 20:53
佐世保駅
 佐世保駅は長崎県佐世保市の中心駅です。かつては国鉄(JR)の佐世保線と松浦線の駅でしたが、現在は佐世保線と松浦鉄道の駅となっています。  写真の駅舎はかなり古く、調べたところ1937(昭和12)年の建築だということです。2001(平成13)年線路が高架化、駅舎も新設されたため、写真の駅舎はもうありません。  写真の駅舎があった頃、駅と駅前のバス乗り場を結ぶ地下通路には飲食店などの店舗がありました。駅新設後地下通路はなくなりましたが、飲食店の一部は新しい駅舎に移転したようです。  なお、私... ...続きを見る

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2017/03/03 21:05
佐世保駅前の風景
 40年程前の長崎県佐世保駅前の風景です。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) 佐世保駅前のバス乗り場、当時佐世保駅と駅前のバス乗り場は地下道で結ばれており、地下通路には飲食店等がありました ...続きを見る

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2017/03/03 21:03
早岐駅の列車
 早岐駅は長崎県佐世保市にあります。佐世保線と大村線が乗り入れる県北の鉄道の要衝となる駅だと思います。  私はこれまでこの駅で下車した記憶はなく、2年前佐世保に行ったとき初めて下車し、「早岐茶市」を見ました。  この駅で思い出すのは、長崎発門司港行の寝台車を併結した「ながさき」という夜行列車の普通車に乗って博多まで行ったとき、深夜でしたが長時間停車したことです。おそらく郵便車の連結もあったのか作業などが行われていたのだと思います。あの時は長崎から博多まで6時間近く(6時間以上?)かかったと思... ...続きを見る

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2017/03/01 17:58
大波止の風景(長崎)
 長崎市大波止の風景です。大波止は五島方面、高島などへのフェリー、旅客船などが発着するところです。  当時の大波止ターミナルは、写真奥のビルの1階部分(1階右側)にあったと思います。この建物は今もありますが、新しい長崎港ターミナルが写真の左に造られています。  左に見える倉庫は今はなく、後の広場が「長崎くんち」の「御旅所」として使用されており、「おくんち広場」と呼ばれています。  停泊している船は「長水丸」、長崎水産高校(現鶴洋高校)の実習船だと思います。停泊している埠頭には今「出島ワーフ... ...続きを見る

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2017/03/01 17:53
大村線の列車
 列車に乗るのは好きですが、鉄道の写真はあまり撮っていません。  大村線は長崎県の諫早〜佐世保市の早岐を結ぶ路線です。1枚目の写真の撮影場所は、岩場の形から千綿駅付近であることがわかりました。  今大村線の列車は2両編成、朝夕多くても4両編成ぐらいだと思いますが、当時の列車編成はもっと多かったように思います。 1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/02/25 21:17
長崎港の漁船
 この写真の撮影場所は、長崎駅の近く(長崎市元船町)です。写真の奥が駅の車両基地、左側には魚市場がありました。  当時は漁船が沢山係留されていたようですが、魚市場も移転し、長崎港で漁船を見ることは殆どありません。  写真を撮った場所の風景は、埋め立て、道路、橋(旭大橋)の架設、県庁の建設などで一変し、当時の面影は全くありません。でも、当時はこれが長崎らしい長崎港の風景であったと私は思っています。 (1980(昭和55)年頃撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/02/25 21:11
ザビエル記念聖堂(鹿児島)
 正式な名称は、「鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂」というそうです。  最初の聖堂は、1908年石造りで造られたそうですが、1945年の空襲で焼失しました。1949年、ザビエル来日400年を記念して、木造の聖堂が建てられました。私が写したものはこの聖堂です。  老朽化により聖堂は1999年、コンクリートの聖堂に建て替えられました。調べたところ、私が写真に撮った聖堂は、今は福岡県宗像市に移築されています。 (1980(昭和55)年頃撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/02/21 17:36
野母崎の風景(長崎)
 野母崎は長崎半島の先端に位置する町です。現在は長崎市ですが、写真を撮ったときはまだ西彼杵郡野母崎町でした。  海水浴場、水仙公園、植物園、権現山展望台、軍艦島の展望、野母崎は見どころも多く、私にとっては手頃なドライブコースです。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) (写真を見ると空の部分がまだらになったように見えますが、これは現像ムラと思われます。実はこの頃白黒フィルムの現像を自分でやっていました。この写真は自分で現像したものだと思います。) 野母町から脇岬町、脇岬海水浴場を望む ... ...続きを見る

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2017/02/21 17:34
高麗橋(鹿児島)
 鹿児島には「甲突川の五石橋」と呼ばれる石橋群がありました。上流から玉江橋、新上橋、西田橋、高麗橋、武之橋の順に架かっていたそうです。橋はすべて、1840年代の幕末期に架設されています。  私は西田橋、高麗橋は写真に撮っていますが、他の3橋は見ていません。1993(平成5)年の水害で新上橋と武之橋が流失、残った3橋は河川改修に伴い移設されました。  これらの石橋が架かっていたところは今はもうすっかり変わっていると思います。 (1980(昭和55)年頃撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/02/17 17:54
西田橋(鹿児島)
 西田橋は鹿児島市の甲突川に架かっていた石橋ですが、移設され現在は「石橋記念公園」で見ることができます。肥後の石工、岩永三五郎の代表作だということです。  九州は石橋の宝庫と言われていますが、鹿児島市の石橋は大きいです。写真はまだ甲突川に架かっていたときに撮影したものです。 (1980(昭和55)年頃撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/02/17 17:53
鹿児島市街地の風景
 城山から撮影したものです。40年前に撮った写真ですから、今はもう随分変わっていると思います。 (1980(昭和55)年頃撮影、ポジ) 天気が良くなかったのか、桜島には雲がかかっています ...続きを見る

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2017/02/14 15:40
雲仙3(山と海)
 雲仙は島原半島の中央部にあり海が近く、有明海や千々石湾(橘湾)の海がよく見えます。 (1980(昭和55)年頃撮影、ポジ) 左に千々石湾(千々石海水浴場)と千々石断層(涯)がみえます、中央奥から右は諫早湾(今は干拓により陸地になっていると思います) 島原、深江方面(噴火による火砕流、土石流で風景が変わっていると思います) 有明海の向こうは熊本県 ...続きを見る

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2017/02/14 15:37
雲仙2(紅葉)
 雲仙は5月頃のミヤマキリシマ、冬の霧氷が有名ですが、秋の紅葉もきれいです。私は霧氷はまだ見たことがありません。 (1980(昭和55)年頃撮影、ポジ) 対岸は熊本県です ...続きを見る

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2017/02/14 15:34
雲仙1(普賢岳など)
 雲仙は長崎県島原半島中央部にある火山です。普賢、国見、妙見の三峰がありますが、1990(平成2)年に噴火が起こり、火砕流、土石流などで大規模な被害が発生しました。  火山活動の結果平成新山ができ、この山が現在最高峰になっています。火山活動は現在も続いています。 (1980(昭和55)年頃撮影、ポジ) 仁田峠からみた普賢岳(今なら平成新山も見えるはずです) 国見岳(だと思います) 妙見岳(ロープウェイで行けます) ...続きを見る

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2017/02/11 17:58
鸚鵡(オウム)がいる風景
 この写真は、長崎市の大波止交差点付近で撮影したものです。写真の奥に家具店(現在はホテル)、その左にカステラの文明堂本店が写っていたのでわかりました。  わからないのは、なぜ鸚鵡がいたかということです。鸚鵡は歩道にいました。そこに小鳥店があったような気もしますが、全く思い出せません。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/02/11 17:56
枕崎漁港(鹿児島)
 枕崎漁港は、鹿児島県薩摩半島の南端、枕崎市にある港です。枕崎といえばカツオ。鰹節は有名です。  枕崎へは、佐賀県の鳥栖駅から夜行列車「急行かいもん」(だったと思います)に乗車、超満員の列車に揺られ鹿児島県の伊集院駅で下車、鹿児島交通枕崎線(南薩鉄道)に乗り換えて行きました。  なお南薩鉄道は、1984(昭和59)年に廃止されました。  枕崎漁港の風景は、今は写真とは随分変わっていると思います。 (1980(昭和55)年頃撮影、ポジ) (この写真は退色、劣化がひどく白黒に変換しています... ...続きを見る

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2017/02/11 17:54
変わった形の船
 長崎市の松ヶ枝桟橋で撮影した写真です。  船の形が面白くて撮影したものだと思います。それよりもこの船は一体どのような用途の船なのか?いろいろと調べてみたのですが全くわかりませんでした。このような船は現在の長崎港では見かけません。この船が必要とされなくなったのでしょう。  ちなみに松ヶ枝桟橋は、今は軍艦島クルーズの観光客で賑わっていますが、港の賑わいは昔のほうがあったように思います。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/02/07 20:08
霧島4(えびの高原)
 えびの高原は、霧島の最高峰、韓国岳のすそ野に広がる標高約1,200mの高原です。  行ったのは秋、コスモスで有名な生駒高原の渋滞を回避するため、国鉄(現JR)吉都線の飯野駅からバスでえびの高原へ入りました。 (1980(昭和55)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/02/07 15:02
霧島3(硫黄山)
 硫黄山は標高約1,300mの山で、江戸時代にできた霧島では最も新しい火山です。宮崎県のえびの高原にあります。えびの高原の標高が約1,200mですから、そこから硫黄山を見ても山という感じはしないかもしれません。  昔は硫黄の採取も行われていたそうです。 (1980(昭和55)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/02/07 14:13
写真の整理保存
 ネガ、ポジ、プリント写真のスキャンは、高価なスキャナーではなく、フィルムスキャンができる複合プリンターを使用しています。フィルムスキャンに対応したプリンターはもう販売されていないようです。  画像閲覧は、picasa3(フリーソフト)を使用しています。  昔のネガやポジは変色、退色、ごみの付着等があり、画像を加工する必要があります。完全に復元することは困難だと思いますが、画像レタッチはGIMP2というフリーソフトを使っています。 (加工前と加工後) ...続きを見る

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2017/02/01 19:40
霧島2(韓国岳と新燃火口)
 韓国岳(からくにだけ)は霧島連山の最高峰、標高は1,700mです。最高峰だけあって頂上からの展望は素晴らしいはずですが、登った時は天候があまり良くなかったのか写真は撮っていません。  新燃岳は現在噴火活動が活発で、火口周辺への立入規制が行われているようです。 (1980(昭和55)年撮影、ポジ) 新燃火口 ...続きを見る

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2017/02/01 19:39
霧島1(大浪池)
 霧島(連山)に行ったのはもう40年前、その後霧島へは行っていません。  霧島登山は、1日目はえびの高原を歩き回り、林田温泉に1泊、翌日大浪池を通り、韓国岳へ登り新燃から高千穂河原へ縦走しました。  大浪池は周囲約2q、円形の火口に水がたまった火口湖です。 (1980(昭和55)年撮影、ポジ) 大浪池と韓国岳 ...続きを見る

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2017/02/01 19:38
柳川
 柳川は福岡県の南部に位置しています。川下り、旧藩主立花氏の別邸「御花」と「松濤園(しょうとうえん)」(庭園)、北原白秋生家などが有名です。  川下りは一度経験しました。川ではなく城下町のお堀を「どんこ舟」という小舟に乗ってゆっくりと巡るものです。船頭の説明、歌などもあり、なかなか風情があります。 (1979(昭和54)年頃撮影、ポジ) 川下り (御花の外側部分だと思いますが、よくわかりません) 松濤園 ...続きを見る

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2017/01/27 19:37
九重登山
 九重には今まで3回登りました。3回目は、1日目に(牧ノ戸からだったと思いますが)久住山に登り、法華院温泉で1泊、翌日大船山へ登りました。  それ以降九重へは登っていません。写真はそのとき撮影したものです。 (1980(昭和55)年撮影、ネガ) 坊がつるから見た大船山 米窪 ...続きを見る

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2017/01/27 19:25
吾平山稜(鹿児島)
 「あいらさんりょう」と読みます。「吾平山上稜」とも表記されています。正しい読み方は「あいらのやまのえのみささぎ」だということです。  これは、神武天皇の父(ウガヤフキアエズ)と母(タマヨリビメ)の陵ということで、日本書紀に記載があるそうです。  場所は、鹿児島県大隅半島中央部の吾平町(現鹿屋市)です。  実は「あいらさんりょう」には友人の車で連れて行ってもらったので、名前は記憶していましたが、場所、漢字表記など全く記憶になく、ネットで調べてやっとわかった次第です。 (1979(昭和54... ...続きを見る

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2017/01/23 20:51
佐多岬
 佐多岬は、鹿児島県大隅半島最南端の岬です。また九州本島の最南端でもあります。  前は展望公園の入園料が必要だったそうで、昔のパンフ等を見たら確かに払っていました。現在は無料とのことです。  当時のことはよく覚えていません。写真と入場券があるだけです。 (1979(昭和54)年撮影、ポジ、ネガ) (以上、ポジ) (ネガ) ...続きを見る

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2017/01/23 20:47
口之津のフェリーと税関(島原半島)
 口之津は島原半島の南端の町で、現在は南島原市に属しています。口之津のフェリーは、天草(熊本県)の鬼池へ就航、約30分で結んでいます。  税関は、旧長崎税関口之津支署で、庇の装飾が珍しく写真に撮りました。当時の建物はかなり傷んでいましたが、改修され今は「口之津歴史民俗資料館」として活用されています。 (1979(昭和54)年頃撮影、ポジ  2017(平成29)年撮影、デジタル) (昭和54年) (平成29年) (昭和54年)税関 ...続きを見る

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2017/01/20 20:02
漁港の風景、昔と今(島原半島)
 島原半島(長崎県)の漁港の風景です。1枚目から4枚目は、島原半島南部の加津佐漁港(南島原市)です。船の形が今と昔では違います。  5枚目と6枚目は、小浜町(現雲仙市)の木指(きさし)漁港です。 (1979(昭和54)年頃撮影、ネガ  2017(平成29)年撮影、デジタル) (昭和54年) (平成29年) (昭和54年) (平成29年) (昭和54年) (平成29年) ...続きを見る

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2017/01/20 20:00
長崎港口の風景
長崎市の大久保山(標高約233m)の中腹(小ヶ倉)から撮影した写真です。 (1979(昭和54)年頃撮影、ネガ) (1枚目)右奥の島が伊王島、その左沖ノ島、造船所がある香焼島 (2枚目)右側香焼島、その奥が高島、高島の左に中ノ島と軍艦島(つながって見える) (3枚目)中央から左が柳埠頭 (5枚目)伊王島と神の島 (6枚目)神の島とねずみ島は埋め立てにより陸続きとなっています ねずみ島にはかつて遊泳教会の水泳教室がありました 天気で視界が良ければ水平線上に五島列島(上五島)が見えま... ...続きを見る

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2017/01/15 21:17
港の風景(長崎市小ヶ倉)
 長崎港口にある小ヶ倉という所の船溜まりの風景です。当時は魚の干場などもありました。観光地ではなく普通の平凡な風景です。ありふれた風景かもしれませんが、その方が飽きが来ないかもしれません。  なお、小ヶ倉には前に客船や帆船で記事にした柳埠頭もあります。 (1979(昭和54)年頃撮影、ネガ、ポジ) 1枚目、写真の奥に竹でできた干場がありましたが今はありません  奥の建物ももう殆ど残っていません 2枚目の写真、左の島が神の島 (以上、ネガ)中央奥の山が稲佐山(以上、ポジ) ...続きを見る

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2017/01/15 21:15
長崎県亜熱帯植物園
 長崎県亜熱帯植物園は、長崎半島の南端にあります。1969(昭和44)年開園、県立の植物園です。今は「サザンパーク野母崎」の愛称で呼ばれています。  橘湾、雲仙岳(島原半島)、天草を望む景勝地で、園内には1,200種、45,000本の亜熱帯植物があるそうです。  1994〜1997(平成6〜9)年頃にリニューアルされたようで、撮影した写真は今の植物園とは違っています。  残念なことですが、植物園は今年の3月末で閉園することが予定されています。理由は入園客の減、斜面地で地滑り対策に多額の経費... ...続きを見る

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2017/01/12 20:01
馬込教会(長崎伊王島)
 馬込教会は、正式名称は聖ミカエル教会というそうです。また馬込天主堂、沖ノ島教会(天主堂)などいろいろな名称で呼ばれているそうです。  伊王島町(現長崎市)は、伊王島と沖ノ島という二つの島から成っています。馬込教会は沖ノ島にあり、伊王島には大明寺教会があります。  馬込教会と海を隔てた向こうは神の島、神の島教会と馬込教会はお互いに向かい合ったように建っています。 (1979(昭和54)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/01/10 19:30
俊寛僧都の墓(長崎伊王島)
 俊寛僧都は平安時代末期(平家の時代)の人。平氏打倒を企てた罪(鹿ケ谷の陰謀)で喜界島(鹿児島県)に流されました。  流罪先は諸説あり、長崎の伊王島もその一つです。  写真の説明板には「平家物語では 薩摩の硫黄島にて終り給ひぬ とあるが、実は俊寛僧都と同罪の藤原成経の舅にあたる教盛(清盛の弟)の荘園が肥前の嘉瀬にあったので、仕送りに便利なこの伊王島に置かれることになった・・・」と書いてあります。 (1979(昭和54)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/01/10 19:20
伊王島灯台
 伊王島灯台は、長崎港口、伊王島の北端にあります。伊王島は、今は橋が架かり車で行けますが、当時は長崎港大波止から船で行きました。  上陸して灯台までどのように歩いて行ったかはよく覚えていませんが、まだ木造の炭鉱住宅が残っていたのは覚えています。  今は観光地として整備され、多くの人が訪れているようですが、当時は灯台へ行く人はほとんどいなかったでしょう。 (1979(昭和54)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/01/08 15:51
西海橋
 西海橋は、1955(昭和30)年竣工、長さ316m、海面からの高さが43mあるアーチ橋です。大村湾の外洋への出口、針尾瀬戸に架かり、佐世保市と西彼杵半島を結んでいます。針尾瀬戸は狭く急潮で知られ、渦潮が見られます。  2006(平成18)年には新西海橋が開通しましたが、竣工後60年を経過した今も西海橋は供用されています。私もドライブのときは西海橋をよく利用します。  先に掲載した針尾無線塔と西海橋は、東宝特撮映画「空の大怪獣ラドン」(1956年)に出ています。この時西海橋は(映画の中で)破... ...続きを見る

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2017/01/06 17:02
針尾無線塔
 針尾無線塔と呼んでいますが、佐世保市のパンフレットでは、「旧佐世保無線送信所(針尾送信所)施設」となっており、現在は重要文化財となっています。  旧日本海軍が1918(大正7)年から5年の歳月を費やし建設した施設で、無線塔のほか、無線室の建物や他の施設も含めて送信施設が構成されていました。無線塔は3本あり、高さは136m、1辺300mの正三角形に配置されています。  ネガをスキャンして気付いたのですが、撮影した写真には今はないものが写っています。塔の最上部に横に張り出したものです。佐世保市... ...続きを見る

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2017/01/06 17:00
黒崎教会
黒崎教会は1920(大正9)年完成、長崎県外海町(現長崎市)黒崎にある教会です。 外海は遠藤周作の小説「沈黙」の舞台となった場所です。撮影した教会は植栽等が少し今と変わっているようですが、建物自体は撮影時と同じだと思います。 (1979(昭和54)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/01/04 14:48
ド・ロ神父記念館
 ド・ロ神父はフランス人の宣教師で、外海町(現長崎市)の産業、文化、福祉、建築等に奉仕した方です。  神父の偉業等を顕彰する目的で、1968(昭和43)年、ド・ロ神父記念館は設置されました。記念館の建物は、1885(明治18)年神父設計施工の鰯網工場だったそうです。老朽化により1999(平成11)年から保存修理がなされ、創建時に近い形に修復されました。  写真は昭和54年頃撮影のため、修復後の今の記念館とは形が違っています。  初めて記念館に行った40年前、「かくれキリシタン」の信仰がまだ... ...続きを見る

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2017/01/04 14:47
桜島と開聞岳
 私が初めて撮影した桜島です。撮影場所は桜島の北方、国道10号線沿い、現在の霧島市「牧之原」の付近ではないかと思っています。この付近が国道10号の最高地点らしく、写真を撮ったあと、ものすごく急な坂道を下って錦江湾まで行ったことを覚えているからです。  開聞岳は、円錐形の山で「薩摩富士」と呼ばれています。標高924m、稜線が非常に美しい山です。撮影場所は「長崎鼻パーキングガーデン」です。この名称の施設は今もあります。 (1975(昭和50)年撮影、ネガ) 桜島開聞岳 ...続きを見る

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2016/12/27 18:47
海王丸2
 海王丸(初代)は、1989(平成元)年引退しました。その年新しい海王丸が就航しています。  引退後の海王丸(初代)は、富山県射水市で一般公開されているそうです。 (1978(昭和53)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/12/27 18:45
海王丸1
 海王丸(初代)は、1930(昭和5)年進水した帆船です。全長約97m、総トン数約2,200t、メインマストの高さは海面から46m、その優美な姿から「海の貴婦人」と称されました。  写真は長崎に寄港した時撮影したもの。長崎港南部の柳埠頭です。 (1978(昭和53)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/12/25 17:21
自転車の風景
 40年前南九州を自転車で旅行した時のものです。このような装備で自転車旅行をしたのは一度きりです。 (1975(昭和50)年撮影、ネガ) 国道10号線(宮崎県内だと思います)鹿児島市役所本館鹿児島県西部 国道3号線沿い ...続きを見る

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2016/12/25 17:17
どんどん坂 プール坂(長崎)
 坂の街といわれる長崎ですから、至る所に坂があります。「どんどん坂」もその一つです。雨が降ると「どんどん」と音をたてて流れるから「どんどん坂」ということらしいのですが、よくわかりません。  坂の場所は南山手、しかし大浦天主堂やグラバー園から離れているため観光客も少ないようです。  どんどん坂の近くに「プール坂」があります。浪の平小学校のプールに行く坂だと思うのですが、私はこの坂の名前を知りませんでした。浪の平小学校はすでに閉校、校舎も取り壊されてありません。  このあたりからの港の眺め、良... ...続きを見る

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2016/12/21 21:50
港の風景(ペーロン)
 ペーロンは初夏から夏の長崎の伝統行事です。360年程前、長崎在住の唐人が競漕したのがはじまりと言われています。  専用の船(ペーロン船)に30人弱の人が乗り込み競漕するもので、長崎市の港がある地区で盛んに行われています。  1977(昭和52)年からは長崎港で長崎ペーロン選手権大会が開催されるようになりました。写真を撮ったのは53年ですから、これは2回目の大会だったのかもしれません。  なお、ペーロンは今では長崎市や近隣地区だけでなく国内各地で行われているそうです。長崎ペーロン選手権大会... ...続きを見る

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2016/12/20 22:15
桜島の噴煙
 鹿児島には何度も行きましたが、桜島の噴火に遭遇したという記憶はあまりありません。  写真は私が写したもので唯一噴火といえるものです。船の上から撮影したものですが、この船は桜島フェリーではなく、鹿児島発、垂水行きのフェリーだったと思います。噴火の規模はわかりませんが、噴煙が高く上がっていました。 (1979(昭和54)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/12/18 20:10
上高地4
 上高地に行ったときは夏で、やはり山ですから登山姿の人が多かったように思います。  私の服装と言えばカッターシャツに革靴、そしてカメラを持ったまさに観光客そのものでした。登山姿の人たちに交じって満員バスに乗ったときには、恥ずかしいような、何とも言えない複雑な気持ちになったことを覚えています。 (1978(昭和53)年撮影、ネガ) 穂高連峰を望む大正池明神池ウェストン碑(日本近代登山の父と言われているそうです) ...続きを見る

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2016/12/18 17:20
上高地3(焼岳)
 上高地へは松本から新島々まで鉄道を使い、そこからバスに乗り換えて行きました。大正池付近で下車して歩き出しました。焼岳が上高地に行って最初に目にした山だと思います。  新島々行の切符はまだ手元にあります。硬券切符で、もう文字が消えそうになっていますが、「松本電鉄 松本から 新島々ゆき 310円  日付は8−1」となっています。バスには松本電気鉄道の記念乗車券で乗ったのだろうと思います。 (1978(昭和53)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/12/16 17:53
上高地2(梓川)
 梓川は、北アルプスの槍ヶ岳を源流とし、上高地を流れています。信濃川に繋がっている川だということで、信濃川の上流ということになるのでしょうか。  梓川の水はきれいでした。私が行ったのは真夏でしたが、手の切れるようなものすごく冷たい水であったことを覚えています。 (1978(昭和53)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/12/16 15:03
上高地1(河童橋)
 上高地は一度行ってみたいと思っていた景勝地でした。標高約1,500m、当時は安曇村の区域であったようですが、2005(平成17)年の市町村合併で、現在は松本市に属しています。 1978(昭和53)年夏、初めて上高地へ行きました。人も結構いましたが、自然と風景は素晴らしく、本当に行って良かったと思っています。 (1978(昭和53)年撮影、ネガ) 前方の山は焼岳 ...続きを見る

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2016/12/14 21:52
東山手2
 南山手から写した東山手の風景です。洋風、中国風の建物、斜面に寄り添うように建つ住宅、長崎らしい風景だと思います。  東山手からは長崎の港が見えますが、近ごろ海岸地区にマンションが増え、景観がかなり悪くなったように感じます。 (1978(昭和53)年撮影、ネガ) 赤い三角屋根は活水学院(活水女子大)青い屋根は海星高校 左下の黄色い屋根は孔子廟 ...続きを見る

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2016/12/14 21:42
旧制松本高校
 旧制松本高校は、今は信州大学になっていますが、写真の建物は旧制高校時代のものだと思います。  北杜夫の本を読んで見に行ったように記憶していますが、写真の場所がよくわかりません。おそらく現在長野県松本市の「あがたの森公園」となっている所の一画ではないかと思っています。 (1978(昭和53)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/12/11 14:55
松本城
 長野県松本市にあるお城です。国宝に指定されています。  開館時間を過ぎていて中に入ることができなかったので、外から撮影した写真しかありません。 (1978(昭和53)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/12/11 14:53
大船山御池、米窪
 御池は坊がつるから大船山に登って、そのすぐ下にあったと思います。登ったのは秋、紅葉がきれいでした。米窪は昔の噴火口だと思います。 (1977(昭和52)年撮影、ネガ) 御池米窪大船山山頂 ...続きを見る

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2016/12/08 22:16
坊がつる
 坊がつるは、大分県にある九重連山に囲まれた盆地の湿原です。「坊がつる讃歌」という歌があるといえばご存知の方も多いでしょう。  私には20歳代前半から半ばまで、ちょっと山登りをした時期がありましたが、今はもうしていません。山の写真は多くは撮っていませんが、折を見て少しずつ紹介していこうと思っています。 (1977(昭和52)年撮影、ネガ) 大船山方面から見下ろした坊がつる「坊がつる」 中央にある建物は法華院温泉坊がつるから見た三俣山 ...続きを見る

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2016/12/08 22:12
三菱長崎造船所
 三菱重工業長崎造船所を対岸の「南山手町」から撮影したものです。写真の造船所であの戦艦「武蔵」が建造されました。現在、長崎造船所に属する5資産が世界遺産(明治日本の産業革命遺産)になっています。  手前右の坂は「どんどん坂」、中央の洋館2棟(民家)は今もあります。 (1977(昭和52)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/12/05 20:24
クイーンエリザベス2
 クイーンエリザベス2は、イギリス、キュナード社の客船です。1969年就航、2008年引退、長さ約290m、総トン数約70,000t。  日本にも何度か寄港しているそうです。長崎にも来ました。当時長崎にはこのような大きな船が接岸できる桟橋が中央部にはなかったのでしょう。長崎港南部の柳埠頭に接岸しました。  豪華客船の入港に大勢の見物客が訪れました。  (1977(昭和52)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/12/05 20:20
大波止から見た風景
 大波止は長崎から五島などへの船が出入港するところです。そこから撮影した長崎の街です。 (1976(昭和51)年撮影、ネガ) 大波止から出島岸壁、松ヶ枝方面 中央小高い山が鍋冠山展望台、その下が南山手(現在この風景は一変しています) 大波止から西方、三菱造船所 今世界遺産となっているクレーンが見えます ...続きを見る

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2016/12/05 19:47
孔子廟
 孔子廟は、論語で有名な孔子を祀っている霊廟です。日本にもいくつかあるそうですが、長崎の孔子廟は日本唯一の本格的な中国様式で建立されているそうです。 (1976(昭和51)年撮影、ネガ) 龍踊りを見物する観光客 ...続きを見る

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2016/12/04 13:06
東山手1
 東山手は南山手とともに長崎の異国情緒を感じさせる観光地として紹介されているようです。どちらも開国後、外国人の居留地となったところです。明治期の洋館が残されており、伝統的建造物群保存地区となっています。  東山手は活水、海星などの学校、南山手は大浦天主堂、グラバー園があるといえばわかりやすいと思います。 (1976(昭和51)年撮影、ネガ) 活水下のオランダ坂 ...続きを見る

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2016/12/04 13:00
長崎市公会堂
 長崎市公会堂は、1962(昭和37)年開館したホールで、市民の芸術文化活動の拠点となった施設です。開館から今日まで公演、コンサートなど、多くの長崎市民が利用してきました。小学校の音楽会なども行われ、思い出のある方も多いと思います。  この建物もdocomomoの「日本近代建築100選」に選定されています。残念なことですが、公会堂はすでに閉鎖されており、近いうちに取り壊され、後には市役所が移転建築されることになるようです。長崎からは歴史的なものが消えていき、また消えつつあります。 (1976... ...続きを見る

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2016/12/02 11:41
日本二十六聖人記念碑
豊臣秀吉のキリシタン禁止令により、1597年、宣教師、信徒26名が京から長崎へ送られ処刑されました。その丘に1962(昭和37)年、日本二十六聖人記念碑が建立されました。記念碑の後ろの建物が記念館で、日本におけるキリスト教の歴史の資料が展示されています。  隣接する記念聖堂も含めてdocomomo-japanが選定する「日本の近代建築100選」になっているそうです。(docomomoとは近代建築の記録、保存を目的とする国際的な学術団体とのことです)  日本二十六聖人殉教地(西坂の丘)は... ...続きを見る

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2016/12/02 11:33
長崎国際文化会館
 長崎国際文化会館は、長崎国際文化都市建設法により1955(昭和30)年建設されました。同法は原爆からの復興へ向けて「国際文化の向上を図り、恒久平和の理想を達成するため長崎市を国際文化都市として建設」(第1条)することを目的としたものです。ちなみに広島市には「広島平和記念都市建設法」があります。  長崎国際文化会館の中には原爆資料の展示室があり、これが現在の原爆資料館の前身であったと思われます。私は小学生のときここに行った記憶があります。現在、この建物はありません。 (1976(昭和51)年... ...続きを見る

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2016/11/30 17:36
平和公園(爆心地公園)
爆心地公園 (1976(昭和51)年撮影、ネガ) 原子爆弾落下中心地碑 1945(昭和20)年8月9日、午前11時2分、上空約500mで爆発 原爆で破壊された旧浦上天主堂の一部(公園へ移設されたもの) ...続きを見る

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2016/11/30 17:26
平和公園
平和公園 (1976(昭和51)年撮影、ネガ) 平和祈念像 長崎出身の彫刻家、北村西望作 1955(昭和30)年完成平和の泉 1969(昭和44)年完成 ...続きを見る

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2016/11/30 17:23
グラバー園から見た長崎の街
 グラバー園で撮影した長崎の風景です。 (1976(昭和51)年撮影、ネガ) 造船所、稲佐山を望む真ん中の白い建物はチャンポン発祥の「四海楼」、その右は長崎東急ホテル(当時)、左の海は今は埋め立てられ「長崎水辺の森公園」となっています海辺の付近には現在高層マンションが増えています ...続きを見る

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2016/11/29 17:15
浦上天主堂
 浦上天主堂は、「カトリック浦上教会」が正式名称とのことです。  1914(大正3)年、レンガ造りの教会が建てられましたが、原子爆弾により破壊され、今の教会が1959(昭和34)年に建てられました。  1980(昭和55)年、改修工事が行われ戦前と同じ赤レンガの教会になりました。その翌年(1981年)2月、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が長崎を訪れ、その時雪が積もったことなど私もよく覚えています。  写真は改修前の昭和51年に撮影したもので、改修後の教会と改修前では教会前面の窓の配置等が変わ... ...続きを見る

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2016/11/28 20:30
大浦天主堂
 大浦天主堂は、正式には「日本二十六聖人殉教者天主堂」と言うのだそうです。  1865年完成、その名のとおり殉教地西坂(長崎駅の近く)に向けて建てられています。今は建物が増え、そこから西坂の丘は見えないようです。  また、大浦天主堂は潜伏キリシタンが信仰告白をした信徒発見の場としても有名です。  なお、天主堂内での撮影は許可されていません。 (1976(昭和51)年撮影、ネガ  2016(平成28)年 デジタル) 1976(昭和51)年撮影 2016(平成28)年撮影 ...続きを見る

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2016/11/28 20:19
長崎(稲佐山から見下ろす)
 40年前、稲佐山から撮影した写真です。あの頃の長崎の港には今よりも多くの船がいました。特に「以西底曳き」などの漁船が多かったように思います。魚市場も長崎港にありました。港は埋め立てが行われ、あの頃と比べると今は狭くなっています。 (1976(昭和51)年撮影、ネガ) 中央部のかまぼこ型の建物が魚市場(今は郊外へ移転)、その左方向長崎駅写真の右端に稲佐山(標高333m)の展望台(現在は新しくなっています)三菱長崎造船所が見えます北部浦上方面 ...続きを見る

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2016/11/28 11:23
現在の眼鏡橋
 水害後、眼鏡橋は修復され、また付近一帯も遊歩道等が整備され観光客や市民の散策の場となっています。風情のある観光地なんでしょうが、昔のほうがより生活感があり風情があったように私には思われます。 (2015(平成27)年撮影、デジタル) ...続きを見る

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2016/11/25 20:00
損壊した眼鏡橋
 1982(昭和57)年7月、長崎市を中心とした地域に集中豪雨が発生しました。時間雨量で日本の歴代最高記録となった豪雨で、「長崎大水害」と呼ばれています。眼鏡橋も損壊しました。 (1982(昭和57)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/11/25 16:48
長崎の眼鏡橋2
 中島川石橋群で二連のアーチ橋は眼鏡橋だけです。二連のアーチが水に映り、その映った形で眼鏡橋と呼ばれたようで、現在の正式名称も「眼鏡橋」です。写真は夏に撮影したと思いますが、市の中心部に当時こんな自然があったのかと思い、改めて驚きました。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/11/25 16:33
長崎の眼鏡橋
 1634年に架設された日本最古のアーチ式石橋といわれています。長崎市の中心部、中島川に架かっています。中島川は大きな川ではありませんが、複数の古い石橋が架かっており、「中島川石橋群」と呼ばれています。  写真は上流に向けて撮影したもの、右側には商店、民家等が川岸のすぐ上に建っていますが、今はありません。 (1976(昭和51)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/11/25 13:43
軍艦島(その4)
 長崎市野母崎、権現山の展望台(高さ約200m)から撮影したものです。軍艦島を俯瞰した形で見ることができます。 (2015(平成27)年撮影、デジタル) ...続きを見る

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2016/11/25 10:01
ミニ出島
 ミニ出島は、出島の中につくられたミニチュアです。江戸時代の絵師、川原慶賀が描いた出島の図を基にしているそうで、そうすると建物は幕末期のものになると思われます。出島を実感するにはこのミニチュアが一番だと思います。  長崎市により出島の復元が行われており、今後より実感できる実物大の出島が出現するようです。1枚目の写真の左奥にあるトラス様式の橋が出島橋で明治時代のものです。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/11/23 22:01
出島
 出島は扇型の人工島で、江戸時代の初めから終わりまで日本で唯一開かれていた西洋との貿易窓口でした。  出島の区域全体は、大正時代に「出島和蘭商館跡」という国の史跡になっておりますが、写真を撮影した頃は、出島区域の多くが民有地だったと思われます。出島の真ん中の道路も通り抜け自由でした(今は入場料が必要です)。 (1976(昭和51)年撮影、ネガ) 1枚目の写真は、玉江橋(出島の西側)から撮影したもの、左岸(写真右側)全域が出島の範囲です。 民間の店舗、倉庫、工場と思われるものが写っています... ...続きを見る

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2016/11/23 19:45
福済寺の鐘鼓楼獅子門
 福済寺は長崎市筑後町、長崎駅から近いところにあります。  黄檗宗という禅宗の寺で、崇福寺、興福寺と合わせて唐三か寺(長崎三福寺)、聖福寺を加えて唐四か寺(長崎四福寺)と言われています。 福済寺は本堂などは原子爆弾で焼失しましたが、鐘鼓楼獅子門は残りました。 1979(昭和54)年、この場所に万国霊廟長崎観音が建立されました。巨大な亀の上に大きな観音様が乗っているといえば知っている人もいるかもしれません。フーコーの振り子(地球の自転を証明するもの)があることでも有名です。 写... ...続きを見る

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2016/11/22 10:27
長崎駅
 三角屋根が長崎駅です。手前は高架広場で今もあります。駅の右奥にあるのは、マルハ(大洋漁業、現在はマルハニチロ?)のビルです。三角屋根の長崎駅舎、大洋漁業のビルは今はもうありません。 (1976(昭和51)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/11/20 19:32
長崎駅前今昔
 40年前と今の長崎駅前の写真です。歩道橋から南方向を撮影したものです。長崎駅前の道路はかつて九州一の交通量がありました。写真を見ると道路、歩道橋は変わりませんが、建物は随分変わりました。 (1976(昭和51)年撮影ネガ、2016(平成28)年デジタル) ...続きを見る

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2016/11/20 19:22
軍艦島(その3)
 2015年、軍艦島は「明治日本の産業革命遺産」として国内の複数の施設とともに世界遺産に登録されました。  しかし、世界遺産に登録されたのは軍艦島の一部、炭鉱の施設と明治時代の石積み護岸で、軍艦島の住宅などは世界遺産になっていません。  今、長崎の港から多くの客がクルーズ船で軍艦島へ上陸していますが、私は廃墟の島へ上陸したいとは思いません。でも、閉山前の活気のあった頃の島へ一度行っておけばよかったと思っています。 (2013(平成25)年撮影、デジタル) ...続きを見る

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2016/11/19 21:54
軍艦島(その2)
 石炭が発見された端島は、もともと小さな瀬であったそうですが、明治の終わりから昭和の初めに瀬や周りの岩礁を埋め立て、海底炭鉱の島として現在の形になりました。  軍艦島の名称は、島の形が戦艦「土佐」に似ていたということらしいのですが、確かに船の形に見えます。  石炭採掘が盛んな頃は、人口密度が世界一になったこともあったようです。  しかし石炭から石油へ、エネルギー政策の転換もあり、端島炭鉱は1974(昭和49)年閉山、無人島になりました。 (2013〜2016(平成25〜28)年撮影、デジ... ...続きを見る

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2016/11/19 21:33
軍艦島(その1)
 軍艦島(正しい名称は「端島」)は、長崎港の南西約17qの海上にあります。  長崎県西彼杵郡高島町に属していましたが、市町村合併に伴い現在は長崎市となっています。  長崎半島(野母崎)からは約5qと比較的近く、野母崎町(現長崎市)の「高浜」から「田の子」に至る海岸から島がよく見えます。  写真は高浜から撮影したものです。高浜には海水浴場があり、私が子供の頃から、そして親になってからは子供を連れて海水浴に行っていました。  海水浴場の正面には軍艦島が浮かんでいました。 (1979(昭和5... ...続きを見る

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2016/11/19 21:15
「海辺のプール」探索
写真のプールがどこにあるのか、何という名称なのか、インターネットで調べてみましたが、なかなかわかりません。鹿児島県の西部で海辺にあるプールで検索できたものは、いちき串木野市の「長崎鼻海水プール」ですが、周囲の風景が違っているようですし、自転車で走行していた国道3号線からも離れています。写真は「長崎鼻海水プール」ではないようです。繰り返し何度も検索しましたが、40年も前のこと、それ以上の情報を得ることはできませんでした。写真のプールはもう存在していないのではないかと思いました。 ...続きを見る

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2016/11/15 21:55
海辺のプール
 この写真は、自転車で鹿児島から長崎へ帰る途中、鹿児島県阿久根市付近の国道(3号線)から写したものであることは覚えています。  海のすぐそばにプールがあったのが珍しい気がしたので写真に撮りました。プールの名称、正確な場所はわかりません。  わからないと調べたくなります。調べた結果を別に記載します。 (1975(昭和50)年撮影、ネガ(プリントをスキャン)) ...続きを見る

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2016/11/15 21:53
関之尾滝
「せきのおのたき」  宮崎県都城市にあり、日本の滝百選にも選定されています。  大滝の規模は、幅40m、落差18m。写真を撮った頃と比べても、今もあまり風景は変わっていないようです。  インターネットの観光案内を見ましたが、吊り橋も同じ位置に架かっているようです。  滝の上部に甌穴群(国指定天然記念物)があります。  この滝と甌穴群をみた後、鹿児島に向かいましたが、途中どしゃ降りの夕立にあい、ずぶ濡れで自転車で走ったことは覚えています。 (1975(昭和50)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/11/13 16:41
桜島
 40年前、初めて桜島を自分の目で見ました。  桜島はもともと島で、1914(大正3)年の大噴火による溶岩流で大隅半島と地続きになりました。  私も自転車で大隅半島から桜島へ入りました。  桜島は鹿児島のシンボルとも言われているそうですが、写真を見ると本当にそう思います。  1枚目は、調べたところ「有村溶岩展望所」から撮影したものだと思います。もう1枚は磯庭園から撮影したものです。 (1975(昭和50)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2016/11/13 15:52
西鹿児島駅
 西鹿児島駅はかつて鹿児島市の中心駅でありました。  写真はまだ学生の頃、自転車旅行で鹿児島に行ったとき撮影したものです。  写真の駅舎は、1950(昭和25)年民間の資金で建築されたそうです。  九州新幹線建設に伴い、1996(平成8)年、新しい駅舎に建て替えられ、2004(平成16)年の新幹線開業で駅名も「鹿児島中央駅」に変更されました。  ちなみに私が最後にここに来たのは1999(平成11)年夏、息子と九州一周旅行をした時で、駅名はまだ「西鹿児島」でしたが駅舎は新しくなっていました... ...続きを見る

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2016/11/11 10:35

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