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写真帳NY(あの頃の風景)
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ペーロン2
ペーロン2 長崎港内のペーロン大会は今も行われていますが、当時と今ではコースが変わっているようです。 現在のスタート地点は松ヶ枝ですが、当時は港の奥、大波止付近ではなかったかと思います。 そして当時は港の中央部で競漕していたのではないかと思います。今は港の東側、松ヶ枝岸壁に近いところにコースが変わっているようです。 (1982(昭和57)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/05/21 17:10
ペーロン1
ペーロン1 長崎のペーロンについては、前に一度(港の風景(ペーロン))という題で書きました。 今回が2度目です。銀塩写真でペーロンを撮影したのはこれが最後だと思います。 撮影当時持っていたレンズは200ミリが最も長く、船を大きく撮影することは困難でした。 一部トリミングしています。 (1982(昭和57)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/05/21 17:10
港の風景(長崎、南山手から)
港の風景(長崎、南山手から) 南山手から写した風景です。 (1982(昭和57)年頃撮影、ネガ) 右側の建物は「ロマン長崎会館」、宿泊や宴会の施設だったと思います。今は取り壊されバスの駐車場になっています。 写真奥(対岸)は造船所、手前の建物は長崎バスの松ヶ枝営業所 ...続きを見る

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2017/05/17 17:13
港の風景(長崎、松ヶ枝付近から)
港の風景(長崎、松ヶ枝付近から) 長崎港、松ヶ枝から撮影した港の風景です。 1枚目は、松ヶ枝から港の奥の方を撮影したもの。写っている橋は旭大橋、1982(s57)年1月18日開通したそうです。 橋は浦上川の出口に架かっています。右側には魚市場が見えます。 出ていく船は伊王島、高島への連絡船だと思います。 手前、砂が積まれているようですが、これはおそらく松ヶ枝岸壁を大型の船が接岸できるよう工事するためのものだと思います。 2、3枚目は造船所方面を撮影したものです。 (1982(昭和57)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/05/17 17:13
港の風景(長崎港)
港の風景(長崎港) 写真は長崎港、おそらく松ヶ枝岸壁だと思います。松ヶ枝岸壁は今では15万トンを超える客船が接岸しています。当時は大きな船は接岸できませんでした。 写っている船はおそらく巡視船だと思います。 遠くに白く写っているのは仏舎利塔。長崎の仏舎利塔は1970(s45)年に建立されたそうです。 そのすぐ下の部分、長崎グランドホテルが写っています。長崎では歴史ある有名なホテルでしたが、2007(h19)年閉館しました。 閉館後の解体がなかなか進まず、今でも廃墟のような形で残されています。 民間の会社が... ...続きを見る

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2017/05/17 17:12
オランダ5
オランダ5 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/08 20:26
オランダ4(マドローダム3)
オランダ4(マドローダム3) (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/08 20:26
オランダ3(マドローダム2)
オランダ3(マドローダム2) (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/08 20:26
オランダ2(マドローダム1)
オランダ2(マドローダム1) マドローダムはオランダにあるミニチュアパークです。 25分の1のスケールでオランダの街並みを再現しているそうです。 1952年の開園ということですから、街並みも年代に合わせ変えているんでしょうか。 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/08 20:25
オランダ1(風車)
オランダ1(風車) オランダには今でも1,000基以上の風車があるそうです。 風車の重要な目的は穀物の栽培や洪水の防止のため、低地から水を汲み上げ堤防の外に戻すことだと思います。その他にもいろんな役割を果たしているのでしょう。 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/08 20:25
ウィーン4
ウィーン4 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/04 21:48
ウィーン3
ウィーン3 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/04 21:47
ウィーン2
ウィーン2 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/04 21:47
ウィーン1(路面電車など)
ウィーン1(路面電車など) ウィーンはオーストリアの首都。 ウィキペディアによると、かつてウィーンは世界最大の路面電車王国であったそうです。 地下鉄の整備が進み、路面電車は地下鉄の補完的な役割になりつつあるそうです。 それでも総延長180q、32系統の大規模なネットワークを抱えているそうですから、今でも市民の重要な交通手段になっているんでしょう。 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/04 21:47
ザルツブルクからウィーンへ
ザルツブルクからウィーンへ 列車は座席も広くゆったりとしていました。軌道が広いせいかあまり揺れなかったようです。 キロポストでざっと計算して、時速90〜100qぐらいで走行していたように記憶しています。 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/02 19:54
ザルツブルクの駅と列車
ザルツブルクの駅と列車 一度だけ海外旅行をしたと前に書きましたが、ザルツブルクからウィーンまでは列車を利用しました。 駅には改札がありませんでした。しかし不正を行うとものすごい罰金を徴収されると添乗員が言っていたように思います。 線路の幅は広く、おそらく標準軌(日本の新幹線と同じ)であったと思います。 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/05/02 19:53
ザルツブルク4
ザルツブルク4 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/04/25 21:39
ザルツブルク3
ザルツブルク3 (1981(昭和56)年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/04/25 21:38
ザルツブルク2
ザルツブルク2 (1981(昭和)56年撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/04/25 21:38
ザルツブルク1(トロリーバス)
ザルツブルク1(トロリーバス) ザルツブルクはオーストリアの中央部に位置する街です。 「ザルツ」は塩、「ブルク」は砦を意味しているそうです。 写真のトロリーバスは、三脚、レリーズなど持っていきませんでしたので、ホテルの窓枠にカメラを固定して撮りました。 トロリーバスは、ザルツブルクの市内中心部の交通手段として活躍しているそうです。環境への配慮があるんでしょうね。 掲載している写真は、1枚目がポジをスキャンしたもの、2枚目がポジからプリントしてもらったものをスキャンしたものです。 相当の年月が経過しており、どちらが当時... ...続きを見る

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2017/04/25 21:37

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