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通潤橋の放水
通潤橋の放水 通潤橋へ行った時は丁度旧矢部町の「八朔祭」が行われており、通潤橋の放水を見ることができました。 放水は豪快で迫力満点でした。 昨年4月、熊本で大地震が起きました。地震で通潤橋も大きな被害を受けました。 通潤橋は立入禁止で、放水もできない状況になっているようです。 1日も早い復旧を祈念します。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/03/29 17:58
通潤橋
通潤橋 通潤橋は熊本県山都町(旧矢部町)にある石造りのアーチ橋です。 1854(嘉永7)年架橋。阿蘇外輪山の南側、五老ヶ滝川の谷に架けられた水路橋です。 橋の中に通水管が通っており、水源に乏しい白糸台地に農業用水を送るために架橋されました。 橋長は78m、国の重要文化財に指定されています。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/03/29 17:56
五老ヶ滝(熊本)
五老ヶ滝(熊本) 五老ヶ滝は、熊本県上益城郡山都町にあります。撮影当時は矢部町でした。 落差50m。近くに有名な通潤橋があります。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ ネガプリントをスキャン) ...続きを見る

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2017/03/29 17:54
九十九島(佐世保)
九十九島(佐世保) 九十九島は、長崎県佐世保港の外側に点在する島々です。区域は西海国立公園に指定されています。 九十九とはたくさんあるという意味だそうで、実際の島は208あるそうです。写真1枚でその全域をとらえることはできません。 写真の九十九島はどこから撮影したものかよく覚えていませんでしたが、調べたところ佐世保市の船越展望所から撮影したものではないかと思います。 (1981(昭和56)年撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/03/27 18:10
聖福寺2(長崎)
聖福寺2(長崎) 2014年、聖福寺の大雄宝殿、天王殿、鐘楼、山門が国の重要文化財に指定されました。 これにより大雄宝殿などの補修保存が進むことを期待しています。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ 他) 天王殿(2013年、デジタル) 山門(1983年、ネガ) 山門の扁額(1983年、ネガ) 鐘楼(2014年、デジタル) 聖福寺の瓦塀(2014年、デジタル) 大雄宝殿の上から鐘楼を見下ろす(2014年、デジタル) ...続きを見る

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2017/03/27 18:08
聖福寺1(長崎)
聖福寺1(長崎) 万寿山聖福寺は、1677年建立。黄檗宗の寺院です。 崇福寺、興福寺、福済寺と合わせて「長崎四福寺」といわれています。 寺の雰囲気や景観が好きで、私は聖福寺へはよく行っています。 何より聖福寺は、崇福寺や興福寺と違い、拝観自由(拝観料が不要)です。 なお、聖福寺(大雄宝殿)は老朽化が進んでいます。早急な補修が必要だと思われますが、そのための募金活動も行われているようです。 (1983(昭和58)年撮影、ネガ  2013(平成25)年撮影、デジタル 他) 大雄宝殿(2013年、デジタル)... ...続きを見る

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2017/03/27 18:07
興福寺(長崎)
興福寺(長崎) 1624(寛永元)年に創建された、日本最古の黄檗宗の寺院です。 山門が朱塗りであるため「あか寺」とも呼ばれるそうです。 (1976(昭和51)年、1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) 山門 大雄宝殿 大雄宝殿、昭和55年頃撮影 写真奥、鐘鼓楼 ...続きを見る

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2017/03/17 19:48
諏訪神社からの眺め(長崎)
諏訪神社からの眺め(長崎) 長崎市の諏訪神社は、鎮西大社と称えられる長崎の総氏神様であるそうです。 諏訪神社の一年で最も重要な祭典を例祭というそうで、例祭は「長崎くんち」と呼ばれており、全国的にも有名です。 写真は諏訪神社から見下ろした街の眺めです。石段の下、四角の部分がおくんちの奉納踊りをするところです。 参道下の街の様子は今はもう随分変わっていると思います。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/03/17 19:47
崇福寺(長崎)
崇福寺(長崎) 1629(寛永6)年、長崎在住の唐人が中心となって創建した黄檗宗の寺院です。 写真は40年前に撮影したものですが、現在の崇福寺も変わりはないと思います。 (1976(昭和51)年撮影、1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) 三門、別名「竜宮門」とも言われているようです 三門(第一峰門から、昭和55年頃撮影) 第一峰門、国宝 大雄宝殿、国宝 ...続きを見る

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2017/03/17 19:45
大波止桟橋の船(長崎)
大波止桟橋の船(長崎) 長崎市大波止桟橋で撮影した写真です。 1枚目の写真、「あんぜらす」(野母商船)は納涼船となっていますが、1974(s49)年に長崎〜香焼航路の旅客船として就航していたそうです。 夏場は納涼船としても使用していたようです。 2枚目の写真は五島からのフェリーの入港です。「フェリー出島」(九州商船)は1974(s49)年、長崎〜下五島航路に就航。 1984(s59)年からは鹿児島〜種子島航路に配転されたそうです。 3枚目の双胴旅客船は「ぐらばあ」(野母商船)です。1972(s47)年、長崎〜... ...続きを見る

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2017/03/17 18:02
大江教会(天草)
大江教会(天草) 大江教会は1933(s8)年の建築、天草では最も早く造られた教会だそうです。 初めてこの教会へ行ったのは1975(s50)年夏、自転車で旅行した時です。 この時は鹿児島県から天草へフェリーで入り、まず崎津教会を見て、それから大江教会へ行きました。 崎津教会は1934(s9)年建築、内部が畳敷きであったのはよく覚えています。大江教会の内部は見ていません。 写真を撮ったのは2度目に行ったときです。残念なことに崎津教会の写真は撮っていません。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/03/17 17:58
日本丸2
日本丸2 日本丸(初代)は、1985(s60)年に2代目の日本丸が就航したため現役を引退しました。 ところで当初日本丸と海王丸には西洋帆船によく取り付けられている船首像がありませんでした。 2代目の日本丸が就航した際、日本丸と初代海王丸に船首像が設置されました。 日本丸の像は「藍青(らんじょう)」、海王丸のは「紺青(こんじょう)」というそうです。 なお、1989年初代海王丸の引退により、「紺青」は、2代目の海王丸に引き継がれたそうです。 3年前、「ながさき帆船まつり」のとき、私は日本丸の船首像「... ...続きを見る

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2017/03/13 17:50
日本丸1
日本丸1 日本丸(初代)は、1930(s5)年建造された練習帆船です。 全長97m、総トン数2,278t、最高マスト高46m。先に記載した海王丸の姉妹船です。 1984(s59)年まで現役でした。1985(s60)年、横浜のみなとみらい地区に保存され一般公開されています。 私も横浜で見ました。 なお写真の撮影場所は、長崎港(出島岸壁)です。 (1980(昭和55年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/03/13 17:47
諫早湾干拓地
諫早湾干拓地 諫早湾の干拓は600年も前から行われてきたそうです。 干拓は遠浅の海を仕切り、そこの水を抜いたり干上がらせて陸地にするものです。 諫早湾の干拓は、以前から海を完全に締め切らない自然環境を利用した「地先干拓」が行われてきました。 平成の国営諫早湾干拓事業では、堤防で閉め切り内側に干拓地と調整池を造る「複式干拓」というものが採用されました。 1997年諫早湾の一部は締め切られ、干潟が消滅しました。現在の干拓地の写真は撮っていません。 (1980(昭和55)年頃、1981(昭和56)年頃撮影... ...続きを見る

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2017/03/07 20:56
諫早湾(長崎)
諫早湾(長崎) 諫早湾は九州有明海の中央部から西側に入り組んだ湾です。「泉水海」とも呼ばれるそうです。 平成の諫早湾干拓で湾は狭くなり、特有の干潟がなくなりました。 写真に写っている赤い植物は「シチメンソウ」だと思います。シチメンソウは日本の固有種で、有明海の干潟にだけ分布するそうで、絶滅危惧種に指定されているそうです。長崎県では干拓により絶滅したそうです。 写真の風景は、今はもう見ることはできません。 (1980(昭和55)年頃、1981(昭和56)年頃撮影、ポジ) ...続きを見る

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2017/03/07 20:53
佐世保駅
佐世保駅 佐世保駅は長崎県佐世保市の中心駅です。かつては国鉄(JR)の佐世保線と松浦線の駅でしたが、現在は佐世保線と松浦鉄道の駅となっています。 写真の駅舎はかなり古く、調べたところ1937(s12)年の建築だということです。 2001(h13)年線路が高架化、駅舎も新設されたため、写真の駅舎はもうありません。 写真の駅舎があった頃、駅と駅前のバス乗り場を結ぶ地下通路には飲食店などの店舗がありました。駅新設後地下通路はなくなりましたが、飲食店の一部は新しい駅舎に移転したようです。 なお、私が初めて... ...続きを見る

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2017/03/03 21:05
佐世保駅前の風景
佐世保駅前の風景 40年程前の長崎県佐世保駅前の風景です。 (1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) 佐世保駅前のバス乗り場、当時佐世保駅と駅前のバス乗り場は地下道で結ばれており、地下通路には飲食店等がありました 駅前の駐車場だと思います 駅前の国道35号線、中央の教会は三浦町教会 佐世保駅 ...続きを見る

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2017/03/03 21:03
早岐駅の列車
早岐駅の列車 早岐駅は長崎県佐世保市にあります。佐世保線と大村線が乗り入れる県北の鉄道の要衝となる駅だと思います。 私はこれまでこの駅で下車した記憶はなく、2年前佐世保に行ったとき初めて下車し、「早岐茶市」を見ました。 この駅で思い出すのは、長崎発門司港行の寝台車を併結した「ながさき」という夜行列車の普通車に乗って博多まで行ったとき、深夜でしたが長時間停車したことです。おそらく郵便車の連結もあったのか作業などが行われていたのだと思います。あの時は長崎から博多まで6時間近く(6時間以上?)かかったと思います... ...続きを見る

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2017/03/01 17:58
大波止の風景(長崎)
大波止の風景(長崎) 長崎市大波止の風景です。大波止は五島方面、高島などへのフェリー、旅客船などが発着するところです。 当時の大波止ターミナルは、写真奥のビルの1階部分(1階右側)にあったと思います。 この建物は今もありますが、新しい長崎港ターミナルが写真の左に造られています。 左に見える倉庫は今はなく、後の広場が「長崎くんち」の「御旅所」として使用されており、「おくんち広場」と呼ばれています。 停泊している船は「長水丸」、長崎水産高校(現鶴洋高校)の実習船だと思います。停泊している埠頭には今「出島ワーフ」と... ...続きを見る

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2017/03/01 17:53
大村線の列車
大村線の列車 列車に乗るのは好きですが、鉄道の写真はあまり撮っていません。 大村線は長崎県の諫早〜佐世保市の早岐を結ぶ路線です。 1枚目の写真の撮影場所は、岩場の形から千綿駅付近であることがわかりました。 今大村線の列車は2両編成、朝夕多くても4両編成ぐらいだと思いますが、当時の列車編成はもっと多かったように思います。 1980(昭和55)年頃撮影、ネガ) ...続きを見る

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2017/02/25 21:17

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